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見たくないダメな自分をあきらめる

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こんにちは メンタル部分が弱いなと実感したパパQです。

今回はどういう記事にしようか迷ったのですが、

先日記事を書いて、ブログって怖いなと思ったことを書きます。

まず先日の記事を書いて、

いい気持ちをしない人がいたら、すみませんでした。謝っておきます。

正直に、私はバカにされた、けなされたと感じてしまった。そして、人の不安をあおるコメントを見て恐怖を感じました。

もし不安をあおるような意味で使っていないと思っているなら、それは他人へ与える影響を考えていない証拠です。

もし、周りに同じような態度で接しているなら、あなたの周りでも傷つく人がいるということを理解してください。 

そして私も同じく反省しました。

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「怖いです」という言葉を実感するのは

 

それを見たり、聞いたりするだけで恐怖を感じることです。

それによって行動ができなくなる感覚です。

緊張してお腹が痛くなる感じ、そんなことを気にするなと言われても、気にしてしまう感じ、気持ちがすっきりしない、もやもや感がずっと残ります。精神的なダメージを受ける感じ。

具体的に書くと、リツイートやはてぶのコメントが来るたびに、また変なことがかかれているのではないかという恐怖です。

一度恐怖に感じるとちょっとした言葉でも、そんなことはないという否定から入ります。それを認めたなくないという気持ちです。

否定せずに聞くには、恐れていることを認めることです。そうすれば、否定することはしません。まず、誤解を与えてすみませんでした。と謝ればいといことです。

怖いなっと思っても、淡々と平気でいられるのは、まだ全然「怖い」という気持ちになっていない。

ブログを書く上で気をつけないといけないこと

読書が記事をどう判断しているのか?

大半は、好意的に見てくれます。

しかし、

読者が増えると何百人のうち数人は、悪意を持つ人もいるのです。

その人は悪意をもっていないかもしれないが、それが余計に怖さをますのです。

そんな数人の人たちの意見はほっとけという意見もあるでしょうが、その主張や意志が強いとどうも無視できない。

人から言われていることが、意見や感想であっても、すんなり受け入れないのは、その意見に否定的な言葉使われていることがあるからです。

否定するときは、認めたくないことを指摘されたとき

ムーミンに出てくるリトルミイというキャラクターがいます。そのキャラクターの特徴は一言で言えば、毒舌です。はたから聞いていると、その言葉はああそうですね、という感じしかいない。ダメージはありません。

たとえば、あなたは何もできないのね あなたは不安を感じているのね

もっとひどい言葉もあるでしょう。

たとえば、こんなコメントがありました、

視野ミニマリスト

ツイートには

何この人言ってんの、ばかじゃない的な言葉です。

これをどう受け取りますか?

自分が視野が狭いことを認めている、視野がせまいなんて当たり前で、私は理解力が足りないのでと思っているなら、そうなんですよ うまいこといいますね

うまい座布団一枚と笑ってすます人もいるかもしれない

だけど、頭に血がのぼっているなら、

視野が狭いということは理解力が足りないということ

それって人をばかにしてるよね

と思いイライラして、なんとかこの人をねじ伏せたいという気持ちを持つ人もいます。

でも、ねじ伏せるといってもどうすればいいのかわかりませんが・・

相手もばかにした気持ちでコメントするなら、相手も視野がせまいことをダメだと思っている証拠です。だから、そこを指摘すれば、相手が嫌な気持ちになるだろうと思うわけです。

しかし、それは自分に対しても思っていることだということを気づいていないのですが

こういったことがSNSではよくあるのです。

そんな言葉を聞いて、そんなことないよと否定から入り、こんなこともできるし、あれもこれもできるよと言い返すこともできる。

でも、言い返せば、言い返すほど、虚しさやなんでこんなに必死になって話しているんだろ?

この行動の裏には、

私は間違っていない

私は嫌われていない

私はバカにされていない

私は大切にされているんだ

そういった前提の思い込みがあるから

それを認めたくない、この気持ちが強い人ほど、人は攻撃態勢に入る

相手の言葉を否定的に捉えると、被害妄想に陥る

負けたくない気持ちをもつことは大事だけど、負けることがあってはいけないとか、こんなくだらないことで落ち込むような人間ではない、と頭で思っていても、心はそう感じていない、でも、それを相手に知られたくないと思っているから、余計に否定して、聞く耳を持たなくなる。でも、実は相手の方がよくわかっていることがあります。

自分の気持ちに素直になるのは簡単か難しいかといえば、難しい部類に入ります。それは、認めたくないことを認めることだからです。

人から言われる言葉ほど、自分で考えていることよりも、影響力が大きい。自分ではそう思っていなくても、相手にはそう見えてしまっていること。

褒められれば、気持ちが上がる人ほど、けなされると人はその意見を否定します。

相手はその言葉をどういう意味で使っているのか、たとえば、相手を不安におとしいれようとしているのかもしれない、だけど、相手はただ感想を述べているだけかもしれない。真意は本人聞いてみないとわかりません。

面と向かって、知らない相手に悪意を持って言葉をかける人はほとんどいません。

インターネット上では、対面していない分、人は簡単に、ひどい言葉を発信することができます。

悪意がない言葉でも、読む方がそれを自分の判断で振り分けます。

賞賛される言葉であれば、素直に受け取る、

否定的ニュアンスがあれば、否定する。

そこでは必ず、誤解が生まれます。

否定的な意見とか、相手を不安にしてやろうとか、バカにしてやろうと思う言葉でも、その真意がわからないので、否定的にとらないほうがいい、誤解が生まれるということ

相手が誤解しているなら、こちらから謝るほうがいい

謝ることは、負けるとか、私の意見を曲げるということでない

謝ることを否定している人間の裏には、負けることへの恐怖を隠しています、恐怖を感じていることを隠しているということです。

でも、すぐに、謝ることができる人は、負けたくないとか、思っていない。

逆に、負けてもいいじゃない

意見が間違っててもいいじゃない

という気持ちがあるからです。

人の意見は食い違い、誤解が誤解を生みます。

あるがままを見るとは、感情を否定しないこと

その感情がいいことなのか、悪いことなのかすぐに決めつけない

そういう感情が湧いて出てきたと感じること

大丈夫なふり 気にしていないふり、不安を感じていないふり

ふりをするのは、それを隠そうとするから、

隠そうとするのは、それがばれるとやばいから

その時点で、自分に嘘をついています。

隠そうとしたり、人に言えず我慢するということは

あなたの価値観が出来上がっているためです。

そこを壊すには、

自分のブレーキとなっている価値観を知ること

常識と思っていること疑うこと

自分とは違う価値観で生きている人たくさん知ること

自分がいいと思っていることや、ダメだと言われてきたことを疑い、受け入れる

自分の価値観を否定せずに、自分も相手もOKと思う。そういう考え方もあるんだとうことを理解すること。

不満の感情はたまりやすい

たとえば、怒っている理由が

バカにされた 軽く扱われた 嫌われた 仲間外れにされた 冷たくされた 

こういう気持ちを人に知られたくありません。それは自分の尊厳に関わるからです。

口に出せないことくらい嫌だから、平気なふりをしたり

大丈夫 気にしていないと思い込んでしまいます。

当然相手は気づかないので、同じことを繰り返すでしょう。

するとどんどん自分の中にストレスがたまり、

最後には「ドカーン」と爆発するのです。

解決する方法

嫌なら嫌ということです。

相手に上手に自分の素直な気持ちを伝える方法

まず、その時感じた本当の気持ちを伝えることです。

「なんでそんなことするの」「そんな言い方おかしい」と相手に攻撃しても

相手は、そんなつもりはないのに、当然攻撃されると面食らい、その瞬間から「被害者」になります。

そして、ひどいことをされた人になって仕返しをしてくるでしょう。

その前に、「理由」を付けたすことです。

私はバカにされたと感じてしまった。だから、嫌だった

私は大切にされていないと感じてしまった。だから、悲しかった。

私は無視されたと感じてしまった。だから、悲しかった。

本当の気持ちをちゃんと伝えることが「素直」です。

不満や悲しみを言わずにいると、その思いはだんだん怒りに変換されます。

相手がいやなことをしたから、私にも反撃する理由がある。

といった感じです。

嫌な気分のまま過ごすのは「被害妄想」です。

嫌な気分になったときは、

ちゃんと言おう

自分をよくみせようとすると、失敗する

風船と同じです。

風船って空気をいれと大きくなりますよね

実際の大きさはちいさいゴムです。

膨らんだ風船に、小さな針を刺すと

バーンと割れます。

元のふにゃふにゃの風船です。

これと同じことをしているのが、人間だと思います、

等身大の自分は、つまらない人間、ダメな自分がいます。

人はそれが張れないように、大きくみせようとします。

それは自分に嘘をついています。

自分はつまらない人間ではない、ダメ人間ではない、と思いたいです。

そこを否定されると、相手に攻撃するか、拒否するかどちらかの対応をとります。

その中間が「謝ること」です。

さきほども書きました、

つまらない人間やダメな人間をダメだと思っている人は

自分がつまらない人間と思われたくありません。

だから、そこを指摘されうと否定する

つまらない人間でも、ダメな人間がダメという固定観念、常識にとらわれているのです。

それがふりとしてあらわれます。

だから、ダメでもいいと思えば、何も気にしない。

仕事ができるふりをしない

家事ができるふりをしない

いい夫・いい妻・いい嫁のふりをしない

いい子のふりをしない

優しいふりをしない

器が大きいふりをしない

嫌われもののふりをしない

できないふりをしない

冷たいふりをしない

強がらない

平気なふりをしない

嫌なのに笑わない

エロくないふりをしない

悟ったふりや、大丈夫なふりをしない。

こういった価値観は、すべて親や学校で教えられます。

いいときもあるのですが、それが裏目に出てしまうこともある。

ただ、自分はダメでいいと思っても、相手はダメではいけないと思っている人に対して向ける言葉は選ばないといけません。そこは難しい。

私の気持ちをわかってくれていないと誤解するからです。

人をけなしたり、バカにする人の心理

あきらかに相手が攻撃的な言葉や行動、バカにしている言葉を自分にむけてきたときは

相手もそのことをが不安なんです。

それをいうことで、相手が不安や悲しむだろうと分かっているから、その発言や行動をしているのです。

そして、言われた方も、そのことを否定したい、認めたくないと思っていることであれば、それを否定しますよね、

でも、なんとも思っていないひとなら、そんなことは気にしない。

だから、相手にしている行為は、全部自分にしている行為と同じなんですね。

そう思うとかわいそうになってきます。

人の争いは全て誤解からはじまります。

お互いの意見を100%理解しているということはありえません。

だから、自分にも間違いがあったなと認めること

そして、お互い理解していこうとするのが、健全な方向ではなかいと思います。