賢くミニマリストになろう

イライラする相手を許せない気持ちとは

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こんにちは 自分の嫌な気持ちを話してスッキリしているパパQです。

突然ですが、

あなたはだれかを「許せない」と思ったことがありますか?

そのときは我慢したけど、思い出すだけで、はらわた煮え返る程のイライラから

ムカムカする、胸がちくっとすることなど

こういった気持ちはだれでもあるものです。

では、どうやって心の整理や対処するのがいいのでしょうか?

心の視線をどちらに向けるか?

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イライラするときは

必ず

相手が主語になります。

あの人が原因で、あいつが原因

なので、

あの人やあいつから自分を主語にしてみてください。

まず、

こころの主語が相手になっていることから抜け出すこと

相手はどうであれ、結局は自分がまずどう思ったかです。

相手から自分に意識を向けます

イライラした感情とは相手を許せないと思っています。

私に被害を加えた人、嫌なことをした人

だから許せない

もっというと、

相手にいやなことをされた自分がいて、

それを許してあげられない自分

そのときに言い返せなかった自分

びっくりしてしまい、何の対応もできなかった自分

ひどいことをされるような情けない自分

恥ずかしい自分

弱い自分

相手になにもできなかった自分と

相手に傷ついたと言えなかった自分

そういう自分を許せていないから、いつまでも、ムカムカモヤモヤを引きずってしまうのです。

つまり、相手を許せないは、自分を許せないからです

相手を許せないのではなく、相手に何かされたときの自分の気持ちや行動が許せない

そんな自分を許してあげると気持ちが楽になります。

相手を許せない 許せない 許せない

と思っていても、

もう一つの声が聞こえてきます

許したい 許したい 

この許せないと許したいという心の声が行ったりきたりします。

では、何がどうなったら許せるのか?

それは、相手が「本当に悪かった。あのときは申し訳なった」と本気で謝ってきたときです。

それでも、たとえば、浮気した旦那さんが土下座して、謝ってもなかなか許すことはできません。

また、謝ってすむなら、警察はいらんだろ

ということもいう人もいます。

向こうが許さないのなら、こちらが許してと、謝るしかありません。

謝るとは、負けを認めることではない

人は負けることはダメだという気持ちがどこかにあります。勝ちことがいいとおもっていなくても、負けることはイヤだという気持ちです。

なぜか、謝ると負けた気がするという人がいます。

でも、よく考えてみてくださいね。

謝るとは負けることはではありません。

謝ることを負けだと思っている自分に負けているだけです。

負けることがダメなことだと思い込んでいる人は

絶対に譲りません。

負けることがダメと思っている人は

「許す」ことはしません。

そして、それは自分に対しても、相手に対しても許すことをしません。

「謝ることが負けだから、謝らない」

「負けるのはいやだから、謝らない」

負けるとは損をすることです。

損をしたくないあまり、心をとじてしまい、許すことをしないのです。

結局、許すという行為は最終的に、自分のつらい思いを分かってもらえないまま終わらせるのが「許す」のです。

「もういい」と決める

相手は自分の気持ちをわかってくれていない、自分の心の傷や痛みを、少しもわかってもらえない

だから、「もういい」

これはものすごい損をするという覚悟が「許す」につながるのです。

つまり、許すとは損を覚悟したときです。

奪われてもいい

傷つけられたままでいい

損をしてもいい

そういう覚悟ができたら、人は「許す」ことができます。

許すことができない人は損をすることができない人です。

許すことできない人の周りには、やはり許すことができない人たちが集まります。

許せないと思っている人の心は閉じたままです。

損をしたくないと思っているからです。

そこには豊かさや周りの人の優しさも受け取れません。

実はこれが一番の大損なのです。

許せる人は、損をしているようで、得をしているのです。

損をしてもいいと思えば、

心の扉いっきに開きます

その扉を開けるカギは「勇気」です。

人から言われたことはすべて受け取ること

よくほめられても、それを受け取らない人がいます。

たとえば

綺麗な人ですねとか、字が綺麗ですね、笑顔が素敵ですね、言われるとこっぱずかしいことです。

そういう言葉を言われると

たいていは、

「そんなことないですよ」

と返す人が多いと思います。こちらは謙遜です。

逆に、あなたはズルい人だ、あなたはバカな人だ、もうすこししっかりしたら

など言われると、

これも

「そんなことない」

こちらはどちらかというと拒否に近い。

他人から言われたことがいいことであっても、いやなことであっても、否定します。

いいことは別に否定してもなにも問題はありませんが、

イヤなことや否定的な言葉を受け取ると、人はかならず否定します。

たとえば、両親に似ている部分があったりしても否定します。

それは、そこがいや部分、ダメな部分、情けない部分、弱い部分だと勝手に思い込んでいるからです。

ダメな自分はそれがダメと思っている限り、ずっと否定します。

頭がいい、しっかりしている、知識がある かっこいい

といった世間でいう「いい」という事柄と

相手に言われると腹がたつ言葉があります。

たとえば、

あなたはなにも知らないバカな人だ

そんな解釈しかできないの?

その年になっても、そんなことしてるの?

などなど

自分が否定したくなった言葉がそうです。

否定するというのは、認めたくない

認めたくないとうのは、心のそこでは、言い当てられていると思っているからです。

でも、弱い人間とかダメな人間がダメだと思っているのは、自分です。

実際にダメなのかもしれない、だけど、そうでもないだろ

と思いたい。

よく見られたいのが人間です。

だから、ダメな部分や弱い部分、役に立たないとか邪魔者扱いされていると思ったら否定せずに、受け取る。

受け取るのが難しいなら、

ダメでもいいじゃない、

役に立たなくてもいいじゃな

弱くてもいいじゃない

と思うことです。

傷つけられたから、ひどいことを言われたから、攻撃してやるといった感じになってしまうのです。

相手からすると、悪気がない場合は「なにそんなに怒っているの?」

とびっくりします。

その言葉を誤解して受け取らないためにも、

否定しないで、受け止める、ダメな部分や弱い部分があってもいいじゃない

自分のダメな部分を認めること、ダメでもいいじゃないと思うことで、心の扉が開きます。

実際は、人間は白黒の間、グレーな存在なのです。それを、白でない自分はダメとか、反対に黒な自分は絶対ダメといても、つねにグレーなのが人間です。

いい人ほど自分で自分を責めることをしてしまいがちになるので、

いい人だと感じている人や、人に嫌われないように、迷惑かけないようにと思っている人は、ちょっと悪人になればいいです。

自分がこんなことしたらダメということをやったり、思うことです。

自分がいちばんダメなんだと思えば、相手からの忠告を否定的に捉えることはありません。

その方が楽になり、心の扉がパカーント開いた状態です。

「損をしてもいいという勇気をもつ」ことです。

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