知識は完璧ではない。人間が知識を得たおかげで失ったものとは?
こんにちは パパQです。
みなさん本は好きでしょうか?私も大好きです。本を読まない日はありません。
また、本を読まなくても、何かしら情報を見て、知識をつけています。
本や情報から学ぶことはすばらしいことです。それを否定はしません。
でも、知識があればなんでも可能だと思ったり、
科学が発展すれば、世の中の仕組みが全部分かってしまうことなんてあるのでしょうか?
人間が知識を得たおかげで、失ったものや理解しにくいものはないのでしょうか?
それが今回のテーマです。
知識を手に入れた代わりに、原始的な本能は捨ててしまった話
人間には知識がありますよね。
知識がないと言えば、人間以外の動物です。
動物には知識の代わりに、発達したのが、本能だと思います。
人間にも本能はありますが、
現代人で「本能」で生きている人はほとんどいません。
それは知識があるからです。
知識より前にあるのが、本能です。
「人間の本能」「男の本能」「女の本能」
この言葉の意味することはなんでしょうか?
野生動物には知識がないが、病気にはならない
野生動物は本能で動いていますよね。
でも、食料を食べ過ぎて、病気になることはありません。
また、栄養についての知識はありません。
これが体にいいから食べるなんてことを考えてから、食べることはしていません。
不思議なのですが、人間は栄養についての知識はありますが、
その知識があっても、糖尿病、高血圧、コレステロールが増えたといった病気になります。
知識をつけて頭が良くなったと勘違いしているのは人間だけなのかもしれません。
知識が発達したおかげで、本能は進化しなくなった
知識をつけたおかげで、本能は機能していません。
もし、ツイッタ-やブログで「本能」という言葉を見たら、書いてある文章をしっかり読んだほうがいいと思います。
それは単なる好き嫌いであったり、行動を正当化させるため、煩悩を本能と勘違いして使っていることが多いのです。
食事に関しては、これが体にいいといった知識で食べるのはまだいいほうですが、煩悩や欲で食べることははるかに危険です。
現代人が本能で食事をするなら
本能で食事をするなら、
「おいしい」「珍味だから」「高価だから」
といいった理由をつけて食べてはいけません。
仏教では煩悩は必要がないとされています。
それは苦しむもとになるからだと思います。
なので、なるべく本能で食べるのであれば
「体力をつけるため、美容のため、長生きするため、この体を1日を維持するために」
と念じつつ食べるそうです。
おもしろいのが空腹だけでなく、満腹も「苦」になるという考えです。
空腹を過去の苦しみ、満腹を新たな苦しみとして捉えています。
まとめ
知識は困っている時や、正しい道をすすむためには必要なことです。
ただ、知識をつけるだけでは、なんの意味もありません。
また、逆に知識が邪魔になって、物事の本質が見えなくなるときもあります。
知識をつけることや本を読むことは素晴らしいとされていますが、知識によって人はずるがしこくなります。
それは犯罪を見ればわかります。
お金に絡む犯罪は、必ず知識がある人です。
つまり、知識をつけることと、その人がすばらしい人あることにはなんの関係性もないということです。
今日も見に来てくださってありがとうございます。このブログでは、私が感じた「なにか」を自分のことだけとは思わず、多くの人にとって大事なことだと思うことをブログにしています。このブログを読んであなたの生活に小さな変化を起こすことを願っています。
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