書評「ブッダが教えた本当のやさしさ」スマナサーラ
こんにちは、パパQです。
今回は「ブッダが教えた本当のやさしさ」スマナサーラさんのレビューです。
「やさしさ」について仏教的視点で書かれた本ですが、そこから「生きる」とは何かまで話が進んでいきます。
仏教的視点では「やさしさ」とはエゴと考えています。
こんな文章があります。
「やさしさ」という言葉は、あまりにも軽く考えられています。その挙句、生きる苦しみが増しているのだとすれば、やさしさ、やさしい人間になる、ということについて、ちょっとしたあいさつ程度でしか考えないので、人の一生の生き方として、人生論そのものとして、見直す必要があると思います。
現代では「やさしさ」という言葉があまりに簡単に使われています。
誰もがやさしい人間が好きであり、やさしい人だと言われるとうれしいのです。
ちょっと考えると、ここまで「やさしさ」を求めているし、やさしいことをしているのなら、問題は多くないと考えるかもしれませんが、現実はまったく違います。
なぜか、やさしいことが好きな人間がそのやさしさが原因で問題が起こっているのです。
それはやさしさについてあまり考えてこなかったらとブッタは言っています。
自然なやさしさと不自然なやさしさ
さらに、ブッタからみれば現代人のやさしさは必要ないといわれています。
その「やさしさ」はアクセサリーのようなものです。しかもセンスは最悪。だから、その「やさしさ」で身を飾っても、ぜんぜん美しくありません。本人も他人も違和感をおぼえます。やめてほしいと頼みたくもなるのです。
その優しさがエゴであるかぎり、本当の「自然のやさしさ」にはなりません。
このエゴとは欲と言ってもいい。
現代人ほどこの欲の扱い方が下手なのでしょう。
では、エゴは必要ないのかといえば、必要です。それは空気のようなものです。
もし、空気がほしいことがエゴだという人がいたら、おかしいでしょう。
まとめ
本当のやさしさと偽物のやさしさについて、考える学問はなかなかないと思います。ブッタの智慧がシンプルであり、それは決して信じるものではなく、実践してこそ意味がある智慧になっていることがブッタの凄さだと感じます。