考える前に観察しろ
こんにちは、パパQです。
はてなブックマークの関心ワードにミニマリストを登録しているのですが、ひさしぶりに言及したくなるミニマリストの記事がありました。
私なりの意見を書いています。
はじめに
考えて考えて結果に行動したことが、成功することもあるし、失敗することもある。考えすぎて、行動もできず、チャンスを逃している場合もある。
最近気がついたのは、
考えることも大事だけど、まず観察しろ
ということではないか
考えていない人が考えているというときに、何を考えているのかというと
自分の価値観で正しいことや間違っているという判断や損得を考えている
だけど、
見えること分かることは限らているし
脳は見たい部分しかみようとしない
考えると自分都合になりやすい
そうした脳のクセを知ると、
考えるということが怪しくなってくる。
だから、考えるという言葉は適切でないと感じる。
だから、考える前に観察しろ
うまく考えることができる人は、必ず観察している。自分の感情や状況を正しく見て、今すべきことをする。
こんな文章がある
この事をそのまま言うミニマリストはあまりいないと思うけど、ミニマリスト的な生き方というのは苦痛を伴う。苦痛なしでミニマリスト的に生きる事はできない。
- ミニマリスト的な生き方というのは苦痛を伴う
- ミニマリズムを実践する上で苦痛を伴う
この苦痛も何を意味しているのだろう。
具体的例がほしかった。
ミニマリズムが一種の自己啓発だと思っているというところと、自己啓発には苦痛が伴うと考えているからその結論が出たのだろうと推測する。
苦とは避けるべきものではなく、観察して発見すること
仏教の視点を入れると、「苦」とは避けることができないもの、すべてのもとになるもであると考えらえている。
好きなことがあれば、執着がうまれ、守ることに必死なるし、失うことを恐れることが苦につながる。
逆に、苦が嫌だといって、することをしなければ、結果は見えている。
ここで大事なポイントは
苦があってこそ楽があるという思考は、楽なことにも苦が隠れているということ発見できていない。
苦しい結果、楽がずっと続くという勘違いを生み出す
苦しいことに苦があるというのは観察せずともわかるが、楽なことに苦があると発見するには観察が必要になる。
もっと単純なことでも観察してみると、
- 呼吸をするのは苦しいから
- 腹が減るのは苦しいから、満腹になれば楽になるけど、食べ続けると苦しくなる。
変化とは苦があるから、変化しなければ、生きるという現象自体成り立たないから、これを真理としてブッタは説いているのです。
苦とは避けたと思っても、必ず苦がある。
苦にも楽にも苦は存在している。
苦痛を避けない覚悟という考えの裏には、苦痛の結果、楽がまっているという考えがあるのでしょう。その結果、その楽の裏にも苦は隠れているということを忘れてしまうのです。
苦を観察して、余計な苦からはさけたほうが正しいし、苦痛を避けない覚悟を持ったとしても、苦はなくなりません。
苦を観察したとしても、苦はなくなりませんが、その対応の仕方が変わってきます。困ったことがあっても、何をすればいいか分かってくる。
過去のことを悔やんだり、将来について考えることは、余計な不安や苦しみを生み出すことでもあるのです。
考えていないという自覚から、考えることは大事だという結論は考えた結果ではないのです。
ただ、反対のことをしているだけでしょう。
大事なことは観察することではないでしょうか。
ではでは