コメント残しは、正しく考える力を鍛える場所として使う
(上海空港の写真)
こんにちは 突然ですが、上海を経由して瀋陽に来ているパパQです。
しばらくはgoogleもyoutubeもtwitterから離れた暮らしでブログを更新していきます。
安心してください、中国でもはてなは利用できますよ。
日本にはいろんなブログサービスがありますが、中国では見られないサイトもあります。
はてなブログはどうなのかというと、ちゃんと見られます。
中国と行っても広いのですが、今訪れている都市(中国の東北にある瀋陽)ではネット環境は整備されています。電車に乗れば多くの人がiphoneを持っていますし、多くの飲食店や喫茶店にはwifiがあります。
回線速度に関しては、電車に乗ればスマフォを持っている人がたくさんいて、ゲームをしたり、ドラマなどの動画を見ているようなので、速度は出ているようです。
私のネット環境場合は、中国の動画サイトは見られるのですが、はてなブログの作成やプレビューといったそれほど速度が要らないところで遅かったりします。これは個人のwifiの環境の影響もあるかもしれません。それでも、ブログを開設した当初よりは快適になっています。
今後の記事の内容について
さて、今後のブログの記事に関して書いていきます。
しばらくはミニマリストに限らず、興味のあることや書きたいことを書いていこうと思っています。
個人的な感想として今年は多くのゴシップネタが毎週のように書かれています。そして、ゴシップネタと競い合うかのように個人のサイトも面白い視点や疑問を書いてあるサイトもたくさんあると感じています。
しかし、ゴシップネタや個人のブログで書かれていることを見る必要はないなと思うときもあります。知ってもどうしようもないことや直接的に関係ないことについて知るよりも、もっとやらなければならないことがあるなと感じながらも、ついついネットニュースやブログを見てしまいます。
では、ゴシップネタやブログを娯楽としてみるのではなく、有効活用できるのやり方を考えてみると、そのニュースやブログを読んで、自分の考えをまとめて、相手に伝える力を上げることができるようになれば、それほど無駄ではないのではなかいと思うのです。
そのためには大事な点がいくつかあると思うのです。
ブログに書くなり、はてブのコメントを書くときさえ、その人の考え方や伝え方の能力が出ます。
はてなブックマークのコメントに関しては
誹謗中傷、名誉毀損といった他者の権利を侵害する情報の掲載は禁止事項としていますので、そのような内容の投稿は行わないようにしてください。
また、特定な行き過ぎた言葉については
特定の行き過ぎた表現は一律に規制するべきでは、とのご意見もいただいておりますが、なんらかの表現を一律に規制した場合、他の同等の表現や、隠語などの歪曲された表現を使って、さらに悪質なコメントが行われる可能性が高く、(省略)そのため、個々の表現については、使われている文脈や、被言及者の意向、投稿者の意図を、総合的に判断した上で適切な対応を検討いたします。
著作権と似ているのですが、行き過ぎた表現してはいけないのではなく、それを取り消す権利があるということです。
個人的なルールとして
- 何が言いたかったのかをしっかり読んでからコメントを書くこと。
- 何を言いたいのか、わからなかった場合はコメント書かない。
- 二元論にならないように客観的視点で書くこと。
- 書いた人に伝えたいなら、ブログで言及すること(100文字では足りないため)
文章を書くことの恐怖感や不安について
インターネットの普及のおかげで、簡単に情報を発信することが可能になり、不特定多数の人が見られるようになりました。
それに付随して、文章を書くことに対して恐怖や恐れというものを感じるときがあります。それは書いた内容が自分や他人を傷つけたりすることもあるからです。
ここまで書いて大丈夫だろうかという一線が誰にでもあるのですが、それは文章を書いていなければ見つけることができない線です。
これは読む側ではなかなか実感できません。
その恐怖感は生きてきた中で植え付けられた価値観から生まれた恐怖感だと思います。だから、他人の文章を読んでも、その一線は見つけにくいと思います。
他人が何に恐怖を感じるかは、それぞれ違うからです。
自分という世界からは抜け出せない
井の中の蛙という言葉あります。もっと広い世界があるということをしりなさいという意味もありますが、文章を書くときにこの言葉を考えてみると、どんな文章を書いても、それは自分というエゴの世界から見た世界であるということです。
少し話がずれますが、仏教の智慧を借りると、エゴは生きている限りなくならない、人類皆エゴイストであると考えられています。エゴイストでない人はブッタ・悟った人であると言われています。
エゴイストを別の言葉で言い換えれば、自己中心的、自分勝手、自分だけがよければいいという考えで行動している人のことです。
多くの場合そういう人は嫌われますよね。
だけど、この相手を嫌うという自分もエゴイストであるということがブーメランのように帰ってくるのです。
そこで、「人間はみなエゴイストである」に戻ると、エゴイストは嫌いだといってる人もエゴイストであるとなってしまうのです。
話を元に戻すと、生きている限り自分という枠は超えることができないということだと思います。
自分の考える枠の外から書こうと思い書いたとしても、それは星空を見る程度でしか書けないのかもしれません。
では、消えない自分というエゴとどう付き合っていくのかということが大事になっていきます。
それはまた次回