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生きているだけですばらしいというのは幻想 「書評」これでもう苦しまない アルボムッレスマナサーラ

 

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photo by utpala ॐ

こんにちは今月には日本帰る予定のパパQです。

暇な時間は本を読みたくなりますが、今回は仏教の本です。

これでもう苦しまない (学研新書)

これでもう苦しまない (学研新書)

 

いろいろ悩みはありますが、「これでもう苦しまない」とはどういう意味があるのでしょうか?

初期仏教に興味があったり、一度は聞いたことがある、

「生きるとは苦である」という真理

本当の意味を知りたい人にはおすすめです。

不思議に思いませんか?

「生きることは苦である」ことなんて、当たり前ですよね。

それがどうして、真理なってしまうのか?

真理ってもっと複雑で難解なことだと思っていませんか?

「生きることは苦であること」があたりまえだと思ってしまう理解の仕方に問題があるのですが、その辺は本を読んでみてください。

この言葉はお釈迦さまからの問題なんです。

「生きるという苦から」あなたも覚ることができますよ

ということなんです。

この問題を解くには、「苦」を理性的に客観視して観察してみる必要があります。

そのあたりは詳しく書かれていますので、ぜひ読んでみてください。

もう一つ気になったのが、

生きることがすばらしいという洗脳

世の中にの風潮として、生きることはすばらしいというのがあります。

たとえば

生きることってすばらしい

いのちは大切だ

生きているだけですばらしい

明日の幸福のため、がんばろう

がんばれば報われる

幸せになるためには、~すればいい

とこんな言葉がテレビやネットでもみると思います。

この言葉を疑った方がいいですよとも書かれています。

この言葉は誤解を受けやすいかもしれませんが、「生きるとは苦である」という真理を知っているとおかしな部分が見えてきます。

信じることなく、疑ってみる姿勢

ブッタの教えは信じるという態度でありません。真実を発見しました。嘘だと思うなら、証拠を出してください。実際に調べてみれば分かることです、という態度なのです。

生きることが苦であることは、感情ではなく、理性的に客観視することができれば、なるほどそういうことかと納得するはずです。

生きることは尊いのであれば、その証拠はあるのですか?

証拠もないのに、生きることはすばらしいと思っているのです。

こんなことを書くと、生きることは価値がないということですか?

と理解する人もいると思います。

生きることが苦であるなら、生きていないことが楽なはずだ

この認識をしてしまうことに問題あると説明されています。

この問題はそれほどシンプルではありません。イエスでなければノーであるということではありません。

私たちの理解能力に欠陥あるのです。

「黒でない」なら「白」と決めつける。「あの人は悪くない」と言ったら、「あの人は善人だと決めつける」

この判断を生きることにもあてはめているのです。

生きていたいという欲望によって苦しみますが、生きていたくないという気持ちになれば苦しみから解放されるのでしょうか?

されるどころから、もっと苦しむことになるしょう。

生きていることに価値がある、幸福があるはずだと推測することが大きな問題であり、そこが認識能力の欠陥なのです。

永遠の魂という考え方が生まれたのも、生きていたいけど、人間は死んでしまう。その現実を受け入れたくないゆえに、生み出した妄想概念です。

これによって、多少は死を受け入れることはできましたが、実際に人が死ぬと人は悲しみます。

宗教はそこをうまく利用して、天国や神を妄想して、死後、永遠になるためにさまざまな方法を妄想して、みんなに教えているのです。

しかし、誰ひとりとして天国や神があるという証拠を出して証明することはできません。

自殺願望がある人は生きることへの執着の反動

「死んだら何も残らない、こころ何は存在しない」といった考えをもつ人もいますが、これも認識能力の欠陥の罠です。

生きることに執着が強い人ほど、死んだら何もないだろうと思ってしまうのです。

たとえば、がんばってみても、ものごとが思い通りにいかないと腹がたつ人、真面目に仕事をしているのに、十分な収入がない人、なにもかもいやになって自殺してしまう人。

人生をあきらめて、もうすべてがいやになり自殺をする人は

「明るく生きていたい」という反動からきているのです。

自分の人生はもっとすばらしいものだという気持ちが強いから、そこに失望しているのです。

それまでの生活で洗脳を受けているのと同じです。

生きていることにすばらしいという価値をつける

理性的に考えれば、これがおかしいことに気がつくは筈です。

いったいだれが人生はすばらしいものでなければならないと決めたのでしょうか?

生きることがすばらしい、命は大切といったおきまりの文句で育つと、生きるこってなんてすばらしんだと思ってしまいます。すばらしくないと人生ではないと思い込んでしまいます。そして、それを生きる糧にしますが、当然生きることは苦しみが伴うのです。

「人生には楽がある」「生きることはすばらしい」という錯覚で、みんな努力して苦しみを増やしているのです。

楽を探すことに必死になっていますが、苦がなくなった人がいるのでしょうか?

ちょっと考えればわかることなのですが、

お腹がすくと苦しいから、ご飯を食べるけど、満腹なれば苦しいのです。

何かを手に入れたりして、苦を消す方法はありません。

お金があれば楽だとしても、それを手に入れることは大変です。そして、お金は使えばなくなり、またお金を手に入れなければならないし、お金がなくならないように苦しむでしょう。

この世に楽があると思っているものは、いつのまにか苦になってしまうのです。

では、なにもしなければいいといえば、そんなことはありません。なにもしないというのは単純に呼吸もしない、食事もしないことであったり、生きる意欲をなくしてしまうことです。これで苦がなくなるでしょうか?

生きることが価値あると思っている限り、生きることに執着してしまいます。それによって苦がうまれるのです。

現実に苦労していても、すばらしい人生のために、苦しみを消そうとして、がんばろうとしますが、これは勘違いなのです。

それは希望か妄想でしかありません。希望は叶わなければ苦しみになり、叶えば嬉しいと思いますが、それで満足して終わることはありません。次の楽を探すのです。

理性的でなければ、簡単にだまされます。

苦しみから楽を生み出そうとしていますが、楽はありません。

楽を探し求めることは、海の中で真水をさがすようなものだと例えています。

悪いことをしたら、地獄におちるよと子供ころ聞いたことがありますが

地獄がある天国あることは証明しようがないのですが、それゆえに、盲目的に信じるか頭ごなしに否定するかどちらかしかできないのです。

苦の原因は渇愛

「生きることは苦である」これは絶対です。

信じようが否定しようが関係がない事実でしょう。

苦をなくすには、生きることをやめることはではありません。苦にも原因があります。

それが渇愛といわれています。

このあたりになると、少し難しくなるかもしれませんが、ぜひ読んでみることをおすすめします。

生きてるだけですばらしい証拠は?

人生はすばらしいのではなく、苦であることを知ったうえでの生き方があります。

生きることがすばらしいということは、誰もが賛同することですが、そこに大きな問題あります。生きることをテーマとした感動する映画がたくさんあります。多くの人が生きることを肯定的にとらえているのでしょう。

だから、生きることに価値があると思ってしまうのですが、生きるということを理性的にみると、生きることは他の生命を奪ってなりたっているのです。

ここに絶対的な価値があるといえるのでしょうか?

生きているだけで価値があるというのは、苦であるということを見えないようにしています。

生きているだけですばらしいと言っている人は、単純にそれがいいと思っているだけで、生きるということは他の生命を奪うことで成り立っていることに関してはどう思っているのでしょうか?

どこがそれほどすばらしいのでしょうか?

命が大切というのは自分の命が大切なだけです。すべての命が大切であるなら、生きることが他の命を絶ってなりたっていることをどう説明するのでしょうか?

とさまざま疑問が湧いてきますが、みなさんはどう考えますか?

終わりに

エピローグに

「生きるとは苦である」とは謎かけです?

と書かれています。

苦とは老いて、病気になって、死ぬこと、好きな人と別れること、期待するものが手に入らないことなどです。

そんなこと誰も知っていますよね、でもこれが真理ですと説かれています。

苦の原因である渇愛ですが、簡単に言えば、欲のことです。

欲深いことはよくないことはだれもがしっているはずです。

なぜこれが真理になるのか

苦なんてだれでもわかっていると思っているから、苦がなんであるか考えたことがないからです。

表面的な苦だけを考えても、苦しみを乗り越えてこそ、楽があるという妄想して、苦しむだけなのです。

すべてを苦であることを前提として、ものごとを見てみると、苦があるからそれが生じていることがわかります。

それでもあなたは信じますか、それとも調べますか?