「ミニマリストは負け・あきらめの終着点なのか」に対する私の考え
こんにちは パパQです。今回は他サイトの疑問に答える記事です。
うまく答えられるか分かりませんが、自分なりの答えが書けたらいいと思います。
その疑問の記事はこちらです。
しゃどみさんの疑問
この疑問について、本多メグさんが記事しています。
その前にしゃどみさんが疑問を提示している記事を読んだ方がいいです。
「ミニマリストって、仕事が出来ない人がやむを得ずに選択するレベルの低い生き方なの?」
私が気になるのは、なぜそう思ったのでしょうか?もしこれが、悪口や批判であるなら、それに答える時間は無駄と感じます。批判や悪口に対抗すると、相手を言い負かしてやろうという気持ちになり、相手の意見が間違っていて、自分の意見が正しいということだけを考えようとします。本来の正しい答えはお互いにとって正しい答えでなければなりません。
相手は間違っていて、自分の意見だけが正しいという答えの出し方は「問いが間違っている」可能性が高いのです。本来はここから考えないといけないことなのです。
私ならこう聞き返します。
「レベルが低い生き方とはどういう生き方だと思ったの?」
おそらく、仕事ができないというこはお金を稼ぐのが苦手だということ。貧乏とミニマリストの区別がついていないので、この疑問がでてきたのだと思います。持たない暮らしがミニマリストであると思っている人は大きな勘違いをしています。
少ないお金で生活できるミニマリストとは?
疑問に答える前に、ミニマリストという言葉の定義をしないといけません。ミニマリストという言葉をどう理解しているかによって変わってくるからです。
私のミニマリストの定義は
ミニマリスト=「最小限で快適な暮らし」です。
ポイントは「快適な暮らし」の部分が人によって違うということ、決まったものはないのです。中身は自由です。条件として、少ないもので暮らすとうことです。
ミニマリストを減らすことを目的としていると感じる人もいます。何がなんでも捨てないといけないと思っている人もいます。
似たような言葉である「シンプルライフ」や「断捨離」といった言葉も正確に理解しないと、言葉だけが一人歩きします。
減らすことは手段であり、ゴールではありません。
ゴールは快適に暮らすことです。
メグさんの「お金が少なくても生活できるミニマリスト」とは
最低限のお金とモノで暮らせるなら、仕事のために生きることなどしなくていいのではないか?少ない生活費で暮らす案も出してくれています。
このミニマリストは「快適な暮らし」=「お金が少なくても生活できること」
ただこの定義はお金があるかないかであって、何を快適と感じているのかはわかりません。そのため、他人から見ると仕事ができなく、お金に困り、貧困にこまっている人、つまり無能な人に見えてしまいます。
『ミニマリストは負け・あきらめの終着点なのか?』という問い
「ミニマリストって、仕事が出来ない人がやむを得ずに選択するレベルの低い生き方なの?」
ミニマリズムは仕事が出来ない人には間違いなく有用な生き方だと思います。でも仕事が出来る人にまで勧められますか?
お金があるなしではミニマリストであるかどうかは判断できない。
ミニマリストに興味を持つ人はその日を暮らすことも大変な人や、ホームレスの方が興味を持つことは少ないと思います。一般的に
- 物が多い生活をしている。
- 嫌な仕事でも、生活のため我慢している。
- 物欲に興味がなくなってきている。
- 自由な生活に憧れている
- 幸福感が薄い
他にもいろいろあるかと思います。
仕事ができない人とはお金を稼ぐことが苦手な人です。つまり、お金の問題なのです。こういった暮らしの人は、生活レベルを落とせば、お金の悩みは解消されます。お金の問題は、出費を抑えることで解決します。無駄なお金を使わなければいいのです。すると、自然に持たない生活になっていきます。
モノが多いか少ないか、お金が多い少ないではミニマリストであるかを判断することはできないということです。
ミニマリストは少ないもので暮らすことだけではない
快適でなければ、少ないもので暮らすことはミニマリストではありません。快適であっても、ものが多い暮らしをしている人をミニマリストとは呼ばないように、単にモノが少ない暮らしは貧乏なだけです。
その暮らしが快適だと感じていなければ、それは単に貧乏な暮らしか、節約をしているだけです。レベルを落とした生活だとも言えます。
最低限なにがあれば快適な暮らしなのか?は間違った問いである。
この問いの立て方では、答えはうまくでてきません。
「なにが」に注目してしまうと、モノが多い少ない、お金が多い少ないが快適の基準になってしまいます。
モノが少ない利点は分かりやすいと思います。お金に関しては多い方が選択肢は多いです。その代わり、お金を稼がないといけません。当然、そのために苦労するかもしれません。
お金の持ちのミニマリストなら、ホテルにとまり、食事は外食、ほかのものはすべてレンタルすればいいと言えるかもしれませんが、これを快適と感じるかは人それぞれです。
貧乏なミニマリストは、一般的なお金の使い方をしないで、快適だと感じることができる暮らしを模索していけばいい。
そして、私ならこう聞き返します。
あたなにとって「快適」とはどんな暮らしですか?
モノが多い暮らしでも、その代償として、その消費のために苦労することに疑問を感じませんか?と問いたくなります。
もし、モノが少ない利点を説明しても、モノが多いことを「快適」と感じるのであれば、その人はミニマリストなどささっと捨てて、ものに囲まれた生活をしたほうがいい。
メグさんの意見は
- 持たない暮らしでも快適に暮らせるよ
- やりたくない仕事をしてまでも、その生活を維持する必要はない
- お金がかからない暮らしであれば、仕事のやり方を変えたほうがいい。
- 生活のためにつまらないと感じている仕事をやるのであれば、少し貧乏になるけど、仕事を変えたほうが、もっと自由で気楽な生き方もあるよ
と提案してくれていると思います。
全人類がミニマリストになればいいというわけでなく、そういう生き方の選択もありうるということです。
お金を使わないでどこまで「快適」に暮らせるのか?
お金のために嫌な仕事をすることも必要なことかもしれないけど、生き方はもっと自由であった方がいいと考えています。もちろん、その自由には責任がついてきます。何かを手に入れようとすると、何かを捨てないといけないことが人生にはたくさんあります。それはごくあたりまえのことなのです。
自給自足でない限り、お金があったほうが便利なのです。ただ、お金がかかることを自分でやるか、ものを買わなければ、お金がそれほど必要でないことがわかるはずです。もちろん、そのときに節約ばかりしていると、なんの楽しみもありませんよね。それでは快適ではないのです。
あくまで、ミニマリストとは、「少ないモノ」という土台の上に、快適な暮らしがあると思ってください。
お金を使わないで、どこまで「快適」に暮らせると思いますか?
このバランスが大事だと思います。
まとめ
私はミニマリスト(最小限で快適で暮らすこと)は「未来の暮らし」だと思っています。
現在は仕事ができない人やお金を稼ぐことが得意でない人にとって自由で快適に暮らせる選択の一つだと思います。
でも、未来のエネルギーを考えたときに、稼ぐことが苦手な人だけが、選択する暮らしなのか?はたして今のままのままで暮らすことはできるのか、エネルギーや地球の資源を考えたら、科学や経済の発展だけでやっていけるのかという疑問もあります。
ミニマリストの少ないエネルギーで暮らすことで人が快適に暮らせるなら、その方がいいでしょう。
結局は個人の欲望と地球の環境とのバランスが大事なんだと考えています。