言い方に気をつけると人生が変わる。「愛語」のすすめ
こんにちは パパQです。
よく読んでいるブログがピックアップされると、嬉しい気持ちと羨ましい気持ちが出てきますね。
これが悪い方に行くと妬みや嫉妬になったり、いい方向であれば、私もいい記事を書こうというエネルギーになります。
なにか情報を見たら、いらいらしないで、いいところを探すほうが絶対にいいですね。妬みや嫉妬の種に栄養を与えないようにしたいです。
仏教の和顔愛語
その記事ですが、記事の内容が良かったので取り上げます。
ぼっち充のススメさんの記事で、素直にいいというコメントが多いです。
最近は物事を考えるときに、これって仏教ではどう考えているのだろう?って考えるようになっています。
「上手な返し方」を仏教では、「愛語」ではないかと思います。
本屋に行けば、「言い方」ついての本がたくさん売られています。
愛語の特徴は
「いつでもその人に適切な慈しみさえあれば、普通だったら言いにくいことや嫌なことでも、ちょっとどこかおもしろく「こんなところがいいんじゃない?」」という言葉が自然にでてくるのです。
好かれようとすると嫌われる
好かれたいという気持ちはだれでも持ちますよね。
承認欲求だと思うのですが、ある人だけに好かれたいと思ったとたんに、他の人をバカにしたことになるんですね。
また、相手が喜びそうなことや嫌なことは一切言わないという八方美人がいますよね。
八方美人は自分が嫌われるのが嫌だから、その人が気に入りそうなことを話す。すると、周りから、だんだん本心を言わない人というレッテルを貼られ、つまらない人や面白くない人だと思われ、だんだん人が離れていきます。
好かれる人は、ズバッと嫌なところを指摘します。でも、その言い方が人を嫌いにさせません。
「NO」とはそのことだけでなく、その人も否定したことになってしまう。
相手がしてくれたことが嫌なことを私は嫌ですというのは、相手を否定します。
相手を否定したいわけではないのですが、嫌ですというと、人や人格までも否定したことになってしまう。
これを回避するには、そこに感謝とユニークの視点はいいと思います。
この本では愛語についてこんな例えを出しています。
嫁と姑の間で、お嫁さんが作った料理が美味しくなかったら、どう返答するのがいいのか?
どう答えるのがいいと思いますか?
「この料理はおいしくないねえ」
はダメです。大げんかになります。
「この料理はここ変えたら、美味しくなるのに」
これはまだましだと思います。これも、「じゃあなたが作ればいいじゃない」という不満が聞こえてきそうです。
「この料理は、好きな人にとってはたまらないでしょうね。」
これを聞いた人なら、味を批判されているわけじゃないし、「あなたの口にあわなかったのなら、しょうがいないわね」といった気持ちになるのではないでしょうか?
上手な返し方は「慈しみ」という気持ち
こんな場面は日常茶飯事です。いちいちこれはどう答えるべきかなんて考えている暇はありません。台本なんてないわけですから、その瞬間瞬間に判断しないといけません。
これは小手先のテクニックではどうにもなりません。では、どうすればいいのか?
それが「慈悲」です。「慈悲」と書いても分からない人もいると思います。
別の言葉書くと
「生きとし生けるものがすべて幸せでありますように」
これを呪文のようにとなえれば、自然に慈悲の心が身につきます。
人に好かれるとか、嫌われるとどうしようとか、そういった悩みは飛んでいきます。
頭で考えてもしょうがないので、日々生活の中で、愛語を話す訓練をすればいいのです。
そうすれば、あなたは幸せになっていくに違いありません。
愛語の本
今日も見に来てくださってありがとうございます。このブログでは、私が感じた「なにか」を自分のことだけとは思わず、多くの人にとって大事なことだと思うことをブログにしています。このブログを読んであなたの生活に小さな変化を起こすことを願っています。
http://lifestyle.blogmura.com/