仏教視点からストレスを溜めないようにする方法

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意外なことですが、現代心理学や医学にストレスには定義がありません。なぜかというと、ストレスを完全に解決する方法がいまだに見つかっていないからです。

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ストレスの定義の難しさ

ストレスとは一般的に、人間関係がうまくいかなかったり、嫌なことがあったり、休む暇もないぐらい忙しいときに感じるものです。

しかし、それだけではなく、楽しいことをしているときにもストレスはかかるのです。

たとえば

  • 今日1日遊び過ぎた、本当はやらなければならないことがあるのに
  • こんなにのんびりしていていいのだろうか。他の人は一生懸命働いているのに
  • 日曜日の夜になると、急にストレスを感じる

ストレス対策として、寝ることがありますが、

逆に「寝すぎてしまった」と自己嫌悪に陥るのです。何かに没頭して夢中になっている時もストレスがかかります。退屈で何もすることがなければ、元気がなくなり、落ち込んでしまうのです。

このように、生きている限りずっとストレスはあるもので、ストレスがない人はいないと考えられています。

嫌なことをやめれば、ストレスを感じないのであれば、ストレスを定義することができるし、それを解決することもできますが、それほど単純なことではないのです。

善いストレスと悪いストレス

専門家のあいだでは、ストレスには2種類あり心身に悪い影響を与えるストレスと、善い影響を与えるストレスがあると考えらています。

一般的なストレス

  • 悪いストレス・・・過労や人間関係
  • 善いストレス・・・目標や希望、何かに感動した、楽しむこと

仏教のストレス

  • 善いストレス・・・人格が向上する衝動
  • 悪いストレス・・・人格が向上しない衝動

仏教の視点では楽しんでいるときに感じるストレスも「悪いストレス」のカテゴリーに入ります。

善いストレスとはこんな自分ではだめで、もっと成長しなくてはという、いてもたってもいられなくなる緊張感や緊迫感のようなポジティブな気持ちです。

 一般的に目標や希望を持つことは素晴らしいという価値観がありますが、それは「貪瞋痴」から起こる目標や希望であれば、悪い結果が起こるとされ、悪いストレスに分類されます。

ポイントは仏教から見た「悪いストレス」は「貪瞋痴」という点です。

ストレスは行為で溜まるのではなく、感情で溜まっていく

貪瞋痴とは貪り、怒り、無知のことです。感情のことであって、行為ではありません。行為であるなら仕事でストレスを感じたら、辞めたらストレスがなくなるはずですが、次はどうしようという不安がストレスになります。楽しいことをしているときや明日から仕事だと思うと、ストレスになります。

なぜなら、怒りや欲で仕事をやっているからです。子育ては悪いことはではありませんが、そこに強烈な愛着と執着でやっているとストレスになります。悪い行為をすると悪い結果が起こるという単純な公式なのですが、問題は何が悪いことなのかという公式がわからないため間違った行為になるのです。

ストレス=貪瞋痴

仏教では悪いことは何かはっきり教えてくれています。その一つが貪瞋痴です。

ストレスは、何かの行為の結果おこるものです。かならず、自分が悪いことをしているときにやってきます。

大事なポイントは悪いことは行為ではなく、悪いのは感情なのです。

何をしても感情が悪ければ、すべて悪い結果が待っているのです。

悪いストレスを溜めないようにするには、貪らず、怒らず智慧を持って生活すればいいのです。

それでも、素直な方は、それができないのが人間ではないのかと思う人もいるはずです。

では、もう少し貪瞋痴について考えてみましょう。

一般的に私たちの行為は貪瞋痴でしかありません

お釈迦様が2500年前に「欲は苦しみのもとです。捨てた方がいいです」と説かれているにもかかわらず、だれも捨てようとしません。

それは貪瞋痴で世の中が動いているからかもしれません。

実際に普段の生活でも簡単な善いことであっても、人はなかなかやろうとしません。例えば、電車の中でお年寄りに席を譲るときでさえ、いろんなことを頭の中で考えて考えて行動するのです。逆に、震災などあれば、人は待ってましたとばかりに、善いことをします。善いことすることが特別な行為であると思っているのです。

なぜ、そこまで悩んで善いことをするかというと、「善いことをする」という思考がインプットされていないからなのです。貪瞋痴にはすぐに反応しますが、不貪・不瞋・不痴の考え方は無いために、善い行為をするとき大変苦労するのです。

ストレスを完治するアドバイス

仕事や人間関係でストレスを感じている人に、

「あなたは悪くありません、嫌な人間関係に負けないでがんばってください」

というアドバスは、仏教から見ると、他人を嫌うという怒りを正当化していると考えます。

仏教の立場からアドバスするなら

「心を客観的に観てください。怒っているのはあなたでしょう。怒ることは悪いことなので、あなたが悪いのです」

しかし、残念ながらだれも「自分が悪い」とは認めがらないのです。

しかし、病気にたとえてみると、おかしなことをしているとわかると思います。

病気になることは苦しいことです。だから、早く治すために病院で薬を処方してもらいます。

お釈迦様の智恵は病院でいう薬と同じなのです。しかし、自分が病気であることを認めず、その薬を飲まなければ、治るはずの病気も治らないのです。

「あなたは悪くありません、嫌な人間関係に負けないでがんばってください」

という対処法は、風邪を引いたので、医者に行ったら、胃薬をもらって帰ったというぐらい頓珍漢なことをしているのです。

貪瞋痴を感じて、分別する

漠然とストレスが溜まっていると観察しても意味がありません。

ストレスは行為ではなく、感情から生まれるのですが、感情は煩悩と言われ、108の除夜の鐘が有名ですが、正確には1500あると言われています。

大体でいいので、「どのような感情でいるとストレスが溜まるのか」を観察することです。

忙しいときに、焦っている、イライラしている、つまらない、浮ついているのか、自分の思い通りにならないとき、その時の感情を観察してみてください。

そして、そこに「欲」がないかも探してみてください。多くのストレスには誰かに認めてもらいたい、褒められたいという欲が存在しています。その「欲」を観察して、欲があるからストレスが生じ、そのために苦しんでいるという因果関係を発見することができます。

ここまでくれば、心は落ち着き、ストレスは緩和されるようになります。

貪瞋痴はいらない

貪瞋痴とは貪り、怒り、無知のことですが、理解が浅いと、貪瞋痴は欲と関係しているので、欲があったほうがいいという矛盾を感じるはずです。それは理解が足りないだけで、

より理解度が深まれば「貪り(欲)、怒り、無知」がない方が物事が効率よく進むことを理解できるはずです。

不貪(献身・貢献)

仕事は献身的に仕事をすること

よく貪りや欲が出やすいの仕事です。金銭欲や名誉欲で仕事をするとストレスになります。見返りを求めず、自分の行為が社会や他の人々が助かること、自分が役立つことを大切に考えて行動すること。こんなに努力したから、これぐらいは貰えるだろう、成功するだろうと考えることは、苦しみを産む原因になります。

不瞋(慈しみ・調和)

ライバルや同僚に勝っていやろうという怒りでは行動しない。

怒りの反対は優しさを思いつくかもしれません、仏教では慈しみや調和という言葉を選びます。皆互いに協力して生きていることが基本にあります。

不痴(探究・理解)

探求すること、ものごとを理解したり、新しいことにチャレンジしようとすること

人に言われたからやることは無知の働きです。そうではなく、自分がやりたい、面白い、勉強になるからという気持ちで起こす行動は積極的なエネルギーになるのです。

まとめ

ストレスとは何であるか、何が原因で起こるのか、ストレスを解消することの難しさについて書いてきました。

おそらくこれはストレスの一面を見ただけです。世の中の現象は、そのことだけで成り立つことはありません。何かと関係しなければその存在がなりたいのです。

ストレスとは抽象度上げると、心の問題です。さまざまな心の問題の中の一つにストレスがあるとも言えます。

次回は心の視点からストレスを見ていきたいと思います。

参考サイト