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エゴの矛盾を解決する方法

Earth

発展や進歩という言葉は一体なにをゴールとしているのだろうか考えることがあります。人類はどこに向かっているのでしょうか。

 過去の歴史を学ぶ時、いつの時代も何かしらの流れがあることに気がつきます。その中で人はどのように生きればいいのでしょうか。その人にぴったり合う生き方があるのでしょうか。間違った生き方と正しい生き方とはなんでしょうか。そもそも人間が生きることに意味はあるのでしょうか。

誰もがこのような疑問を持ったことはあると思いますが、誰もが納得できる答えは出てこないでしょう。そうであるなら、たんたんと生きていればいいかといえば、そんなことはできないはずです。幸福になろうとして、結果として不幸になっている可能性があるからです。

そこで初期仏教の智慧から学ぶなら、人は道徳、知識、財産の順番に学んでいく必要があると説かれています。

道徳とは世のため人のために生きるということです。その考え方に反した知識や財産の使い方をすれば、社会からはじき出されるのは当然だからです。

道徳といえば、なにかをしてはいけないという面倒くさいイメージがありますが、道徳とは生きる上での智慧です。ここで忘れてはいけないのが、生きるとは一人では不可能なのです。何かしらの組織や共同体が必要なのです。

その共同体をつなげているのがエゴや煩悩なのです。エゴや煩悩はまず自分のことを中心として物事を見てしまうという事実があります。エゴがいいとか悪いとかではなく、そうするしかできない仕組みのようなものです。

たとえば、他人に気持ちがわかる・わからないということを言うことはできますが、決して他人の気持ちはわかることはできません。わかるのは、自分という主観を通した他人や世界であり、他人がどんな感情なのかということだけです。そして、その感情は煩悩だらけの感情なのです。

原始的に見ると、そのエゴを持った人間が共同体を作ったのは、一人で生きるよりも共同で暮らした方が生き延びることができたからです。

つまり、この共同体は利益でつながっているのです。その共同体の上で成り立つという条件を忘れて、利益を独占したいというエゴを持った人も現れます。その人にとってこの共同体は邪魔になります。また、共同体は外部の敵には一致団結することができ、ものすごい力を発揮しますが、共同体はエゴの利害関係によってなりたっているので、内部から崩壊することが多いです。それは国から夫婦関係まで同じです。

生きるためには共同体が必要なのに、そこに反発してしまうのが、エゴの存在です。私たちの生き方は非常に極めて矛盾したものなのです。

その矛盾を解消するのが、エゴの向きを「奪う」から「与える」へと変えることなのです。結論から書くと、与えることが自分の生き方になってしまえば、自分の周りにしっかりした共同体システムが生まれるのです。

よくよく考えてみると、人間は生きるために他の生命を奪っているという事実があります。ヒューマニズムという考えはこれを無視しています。生きるためにという理屈をつけて、他の生命を奪っているのです。法律は人間がつくったものなので、この罪によって裁かれることはないのですが、原理的には生きることは無罪とは言えないのです。

この矛盾をどう解決すればいいのでしょうか。仏教ではこれを解決するには慈悲しかないと説いています。慈悲とは簡単にいうと、私も幸せで、あなたも幸せという、正しい共同体です。

単純に与えることが慈悲であり、それが本当の人間の幸せに繋がるのであれば、与えたくない・奪いたいというエゴがある限りさまざまな矛盾を生み出すはずです。

生命とは共同体でしか生きられないエゴを持つと同時に、共同体を壊したいというエゴをもっているという矛盾を抱えています。もっというと、共同体とは煩悩で繋がっており、煩悩は自ら破壊行動を行うのです。

その矛盾を生きるためには、慈悲についてしっかり考えていかなければならないのかもしれません。