病葉が蔓延るインターネット

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Leaves

言語とは人が生きるため、社会が成り立つために欠かせない重要な役割を担っているが、そこで何を重要視したのかというと、「早さ」「簡単・わかりやすさ」などである。本屋に行けば、速読の本もあるし、わかりやすさといえば、サルでもわかるなど、わかりやすさを強調した本が出版され、それが売れてしまう。

なぜここまでわかりやすさや早さが重要視されるかといえば、資本主義というものが根っこにあるのではないだろうか。そして、根っこを支えているのが人間の欲・エゴである。

人間にとって言葉は道具という役割もあるが、道具として使うなら、その道具を何にどう使うかを考えなければならない。つまり、言葉の意味をできるだけ正しく理解しなければいけない。なぜ正しく理解しないといけないのかというと、間違った道具の使い方をすれば、自分や他人を傷つける恐れがあるように、言葉にもその力は十分にあるからである。

本当に何かをわかろうとするには、まず無知であること理解する必要があり、それには時間がかかるのは当たり前なのだが、それを忘れるのか、早い方が得という思考からか、一種の怠けから「早さ」「わかりやすさ」に飛びついてしまう。

わかりやすいというのは、わかった気になるという側面が強く、そこに早さが加われば、考える暇を与えない。

考えないというのは思考停止であり、早さやわかりやすさを求めると思考停止に陥りやすい傾向がある。逆にいえば、思考停止が早さやわかりやすさを求めているのかもしれない。

それは言語を使って思考するしかない人間にとって致命的なことだと感じる。言葉が悪いが精神的にどんどんバカになっているだろう。

言葉の語源を紐解くと、言とは事とだいたい同じ意味である。葉は古くは万葉集でも使われている。他にも言羽・辞という言葉もあるが、今残ったのは「言葉」。

葉とは葉っぱのことであり、たくさんの葉っぱは大きな木にできる。その大きな木はひとつの種から生まれる。その種とは人間の心である。一つ一つの言葉を一枚の葉っぱに例えるなら、その種は心から生まれている。おもしろいのは言葉=wordも元を辿れば、root=根っこという意味になっている。

初期仏教について学んでいると「こころ」とは常に欲によって汚れているから、物事を正しく判断できない。だから、無駄な欲を取り除けと説かれている。言葉の語源を調べていくと、病葉(わくらば)という言葉もでてきた。病を「わくら」と読むのではなく、2文字でわくらばと読む熟字訓らしい。病葉とは虫食いの葉っぱという意味である。虫とは人間の欲だと考えることもできる。特にpv=お金の仕組みが出来上がったインターネット社会には欲という虫に蝕まれた病葉が蔓延っているのではないかと思うのである。