同じであることも、違うということもどちらも素晴らしい
明後日、帰国するパパQです。
今年は数ヶ月中国に滞在する年となり、貴重な経験をしています。
夜のタクシーに乗りながら、漢字しかない看板や何棟も同じマンションや建築中のマンションの街並み、大きな道とその周り大型ショッピングセンターが立ち並ぶ風景などもしばらく見ないのだと思うと、少しセンチメンタルな気分になります。
人生とはどこでどうなるのか予想もつかないものだと思います。
学校を卒業をして、どこかの会社に就職して暮らすというイメージしか浮かんでこないのであれば、それはひどくつまらないし、どこか自分が生きているという実感がない期間であったかもしれません。
目次
- 海外を楽しめる人は、違うことを楽しめる人
- 他人と同じでなければならない思考
- 比べることにいい悪いという判断をつけない
海外を楽しめる人は、違うことを楽しめる人
違ってもいいという感覚は人を自由にさせてくれます。
いいことか、悪いことか分かりませんが、
- 日本人は平均を求める
- 他人と同じであれば安心する。
- 他人と違うことを嫌う。
これは学校教育から感じることですが、同じ服装や同じ行動をとることがいいとされています。人と違うことは否定されます。否定するがゆえに、奇抜な行動をする人も出てきます。
そして、大人になっていくと、他人と違うことや思い描いた人生とは違った人はその人生を否定する人も出てきます。
他人と同じでなければならない思考
最近ブログで話題になったランドセルの記事がありました。
ランドセルがあるとなしといった環境は差が出るので、無料で配ればいい。
本来の義務教育は教育を受けさせる義務です。学校に行かなければならない義務ではないという文章をどこかで読んだ記憶があります。
まったくそのとおりだと思います。
子供がランドセルをもっていないという環境が子供のいじめにつながるという子供の視点にたった考えのような気もしますが、結局は大人が自分の子供がいじめられている状態がつらいだけであり、親のメンツを保ちたいだけであるような気がします。
同じことがいいとされた環境で育った人は、価値観が固定されていく大人になったとき、こういう人生はダメだとか、こうすると不安だから、それはやめておこう、周りが反対するからやめておこうと考えて行動できない人がいます。
比べることにいい悪いという判断をつけない
海外に行けば同じであることの方が珍しいぐらいで、同じであるところを発見すれば、親近感を抱きます。しかし、違うことがあっても、海外であるがゆえに、納得します。
大きな違いは、同じであることが恐怖心や心配にはつながることはありません。そして、違うことも恐怖心や心配につながることもありません。
同じであることはとても素晴らしいことです。
と同時に
違うこともとても素晴らしいのです。
もっと書くと、
同じであっても、違ってもどちらでもいいのではないかという気持ち
しかし、同じでないといけない、平均でないといけないという考えの人は、学校の教育上、みなと同じことを求められる世界で生きているわけですから、同じであることに価値をおくのは当然かもしれません。
人生を俯瞰してみると、すべての人生に感謝せずにいられない気持ちになります。すべての人生に命があって、すべてが儚く散っていく命です。それが今という時間の中でしか、存在できないこと。
こんな視点をもってしまうのも帰国前のセンチメンタルな気持ちのせいなのかもしれません。
ではでは