今に意識を持っていけば、こころは安定する
こんにちは パパQです
今日は朝から雨で、台風が近づいているらしい。
最近の新聞の一面はある事件のことが取り上げられている。新聞でもテレビでもいいニュースはあまり記憶がない。見ているのかもしれないが、自分にとっていいニュースでなければ、関係ないニュースか悪いニュースのどれかになる。
新聞やテレビでは悪いニュースを放送することが多いのは、以前に脳の仕組みが恐怖に関係することほど、人は注目しやすいからだと聞いた。
それがテレビや新聞だけでなく、ブログを見ていても、嫌な気持ちになる言葉を見ると、内容云々の前に、嫌な気持ちに心が向くようになっている。
見たくないのに、見てしまうとき、あ、またやってしまったという後悔が押し寄せてくる。
いいニュースが新聞一面になることや、ニュースで長く放送されることは滅多にない。
それだけ日々目にしている情報は偏っているのだろう。
私は朝起きたときに、自分に体調や気持ちと向き合うことにしてる。そのときは、ブログや新聞やテレビも一切見ない。言葉や音は5感が反応して、磁石のように、いろんな感情を引き寄せてくるので、まっさらな自分の状態が見えなくなる。
そして、今の自分に向き合うには、過去や未来のことも考えないようにしている。そのために坐禅や瞑想をすることはいいことかもしれない。
だけど、、坐禅も瞑想もできないほど、気持ちが揺れているときがある。
そんなときは今の気持ちを文章に書くことにしている。
そして、なるべく、今していること、たとえば、呼吸する、歩く、水を飲む、外の音を聴く、といった日常のありふれた物事に意識を向けている。
どんなに過去について悔やんでも、どんなに未来について心配しようとも、今はここにしかない。
しかし、言葉には上にも書いたように、恐怖に関係することは、脳が注目するようになっている。
つまり、過去や未来も恐怖につながるのだ。
今という時間もその過去や未来の恐怖によって、今を感じにくくしている。それはいいニュースと悪いニュースの関係に似ている。
今を掴もうとすると、時間と空間の概念が邪魔になるのだ。しかし、生きている上で、時間と空間の概念は光と影のようについてくる。裏と表の関係に似ている。
もっというと「存在」という言葉にも近く、言葉がすごいのは「意味」を持っているからだとさえ思ってしまう。
なにわともあれ、今と自分との境目をなるべく薄くしていくと、次第に心が安定。
今そんな気持ちです。
今日も一日よき日でありますように