賢くミニマリストになろう

ウソのない言葉

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photo by James E. Petts

こんにちは パパQです。

 

言葉は誰のモノでもないけれど、

他人の言葉を借りずに自分の言葉で書きたい

と思うときがあります。

 

せめて文章を書くときだけは

正直でいたい

ウソをつきたくない

分かったふりをしたくない

 

本を読んだり、他人の考えにふれることで、知識が増えたり、考えが深まることはたくさんある。

だけど、スタートが自分の問いから始まらない限り納得ができない。

 

わかったつもり、ふりだなと感じてしまう。

そして、自分を大きく見せたり、小さく見せたり

それは不安や恐れから逃れるため

 

他人の問いから答えを見つけることは、自分の問いを見つけるチャンスを捨てていると感じるときがある。

 

自分の内側を見ることはなぜ難しいのだろう?

答えはすぐに出ないけど

 

今の瞬間を説明する難しさに似ている。

今を見ようとしても今がない

今は一瞬で過ぎている

今まであると思っていた今がない

 

だから

今は蜃気楼に似ている。

自分という言葉も蜃気楼に似ている。

 

掴もうとしても掴めない

掴もうとしているのが自分でありながら、

掴まれようとしているのが自分でもある不思議な感じ。

 

自分が本当に求めていること、本当にしたいことが

分かっている人は自分の問いを発見して、答えを見つけているか、

問題自体が消えてなくなっている。

 

自分に立ち返るときは

「本当の」

という言葉が自然に出てくる。

 

本当とウソは理屈抜きで分かる。

本当には完全なわたしが存在する。

ウソには、欠けている自分が存在する。

ウソをつくとき、他人にウソのつくと同時に、自分にもウソをついている

ウソには安心感が全くない

ウソをつくとき、自分を小さく見せるか大きく見せるかのどちらか。

 

本当であることは、自分にウソのついていないという絶対的な安心感や幸福感がある。

ウソは安心の代わりに不安が付いてくる。

ウソを付いて安心することはない。

 

人生とは自分のパズルを見つけて一枚の絵を完成させることに似ている。

 

外の情報から自分の問いや答えを探すことは

他の絵のピースをはめている感じ

似たようなピースを無理やりはめていると、完成しないし、いつかパズルはバラバラになる。

 

ウソのピースに会うはウソのピース。

ウソのピースを無理やりはめ込んだ絵は完成する前に、バラバラになる。

ウソのピースは捨てないといけない

そして

未完成のパズルを

じっくり観察して

本当のピースを見つけたい。

 

自分の未完成のパズルをじっくり観察することは

問いを見つけることに似ている

 

自分の内側を見るには、勇気がいる

それは真っ暗の闇の中を1人で歩いているようなものだ。

 

借り物でない自分であるためには、

誰にも頼らず1人で歩かないといけない。

 

そんな真っ暗な中でも頼りになるものがある

それが「問い」だと思う

「問い」こそ光だと思う

その光を辿っていけば、どこかにたどり着いて

別の景色が必ずある。

 

文章を書くことは、外側にある問いではなく、内側にある問いを発見すること

それはもともとあったもので

自分の内側に眠っているもの。

 

だから、今の気持ちを言葉にできたときに、

「やあ こんなところにいたのか」

「これからもよろしく」

という気持ちになる

懐かしい古い友人に出会った気持ちに似ている。

ここにも安心感につながる理由がある。

 

この安心感は外側の借り物では得られない。

本当の安心感や満足になる。

  

「ある」は「ない」になるけど

「ない」から「ある」はない

「ない」という言葉はあるからあると思うけど

「本当にない」言葉は、誰にも知られずに

すべてから取り残されている。

 

だから、言葉になる前の言葉はいつも誰かが見つけてくれるのを待っている。

だから、見つけるとうれしい

 

内側と外側

自分と他人

 

内側を見ようとする自分はいつのまにか外側にいる

何処までいっても外側にいる

自分とは蜃気楼のようだ

 

あると思っているけど、

近くに行くと、存在しない

でも、体はある

 

この、あるようでない、ないようである感覚

世界 人生 存在 私 他人

全部言葉はバラバラだけど、もとを辿ると、すべては同じ

 

この世のすべては、言葉によって分かることができる

だから、言葉になる前は、すべてが同じだったと感じる

 

自分から離れて世界や宇宙や存在について考えるけど、

それを覆っているのも自分だと考えた瞬間

すべて 世界 宇宙 存在がすべて自分と重なる瞬間

すべてがひとつになる瞬間

孤独ではなく、みんな一緒なんだなという絶対的な安心感がそこにはある。

 

生きていることの不思議さに感謝して終わりたいと思います。

ではでは

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