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仏教から学ぶミニマリスト 欲と無常と悩みの3角関係

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鍾乳洞に行ってきました。幽遊白書の仙水の洞窟を連想しました。

こんにちは 朝目覚めるとここがいったいどこかなのかわからなくなるパパQです。

海外でも、日本語を読みたいときはAmazonにお世話になっております。

先月と今月で、気になるミニマリストの本が発売されています。

かたづけや断捨離といったことではなく、ミニマリスト書いたミニマリストの本は非常に少ないので、興味があります。

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

 

残念ながら、kindle版が出ていないので、読んでいませんが、他の方がレビューをしてくれているので、読んだ気になっております。

『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は最短でミニマリストになれる「悟りの書」!ミニマムな労力で「賢者」に転職して人生コストを劇的に削減!! - ミニマリストなIT系営業マンの資格受験ブログ

プロが書いたレビューとは違ったおもしろさがあります。

『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を読んで、実践したいと思った7つのこと。 - ミニマリスト日和

なんと本で部屋が紹介されているというおふみさんのブログ

日本に戻ったら、注文したいと思います。

どんなにときめいて買ったものでも、いつかは「慣れ」て「当たり前」になって「飽きる」 by ミニマリスト日和 

この文章が本に書いてあるのか不明ですが、ミニマリストでなくとも、この気持ちはありますよね。

今年はずっと仏教関連の本を読んでいるのですが、人間の欲やカラクリの仕組みを知っていると物事の捉え方が変わってきます。

単純に考えると

どんなものでも飽きてしまう

ということですよね。

では、ここに仏教的視点を入れてみます。

人間の感覚には「好き」「好きではない」「どちらでもない」の3つの感覚しかなく、そして、それが常に変化している「無常」という状態を繰り返している。

無常という言葉は仏教を知らなくても一度は聞いたことがあると思います。

一瞬一瞬変わっていて、同じものはないということです。

それと「飽きてしまう」とどう関係あるのと思うかもしれませんが

なぜ変わってしまうのか?逆にいうと、好きな状態なら、ずっと同じ状態の方がいいと思いませんか?

ラクなことはずっと続かないし、イヤなこともずっと続かない

美味しいものを食べたい、ラクがしたい、好きなものが買いたい

だれもが願うことですが、

ずっと同じ事ができる人はいないということです。

お金がいくらあっても足りないということではなく、お金がいくらあっても同じです。

どんなに美味しものでも、ずっと食べ続けることはできません。

お腹が空いたときの食事は美味しいという「好き」という感覚です。

30分ぐらい食べていると、お腹が空いているという「好き」から「どちらでもない」という感覚になります。

お腹がいっぱいになると腹が苦しくなり「好きではない」という感覚になります。

そして、また、お腹がすくと、「好き」という感覚が生まれます。

立っていると状態がつらくて、椅子に座るとラクだけど、一時間も座ると腰が痛くなり、つらいのです、すると自然に立つでしょう

この変化はいつ生まれるかというと、苦しいという感覚から生まれます。

だから、「人生は苦である」というのは、苦しいとかつらいというそういう意味ではなく

苦しみが人間を動かしているエネルギーになっているのです。

苦しくなければいいと思うかもしれませんが、苦しさを感じなければ、生きていません。

常に変化しないといけない、動いていないと生きることが成り立たない生命になっているのです。

喜怒哀楽は「好き」か「好きでないか」か「どちらでもない」の3つから生まれる

好きという感覚が「欲」を生み

好きでない感覚が「怒り」を生む

どちらでもない感覚が「無知」を生む

 喜怒哀楽の感情は「好き」「好きでない」「どちらでもない」の状態から生まれています。

この喜怒哀楽が材料になり、思考や妄想がはじまります。

特に、妄想はひどいです。あることないのこと自分勝手に想像しては、作り上げてしまうからです。

それが自我やエゴとなり、自分中心の世界ができあがっているのです。

無常を理解していない人は、悩み苦しみ続ける

無常を理解していない人は、好きなが状態ずっと続けばいいという妄想が苦しみを生み

好きでない状態が死ぬまで続くと妄想し苦しむのです。

無常を理解していれば、好む状態もいつか苦しくなり、どうでもよくなり、いらなくなります。そんなに好む状態をもとめなくなります。

逆に、好きでない状態でも、いつかは変化するということを知っているので、そんなに気にしないのです。

エゴの妄想と暴走

無常を理解していないエゴの錯覚の妄想をしている人たちがぶつかると互いに自分を譲ることはしません。

どちらも譲らないのは、エゴと妄想のぶつかり合いです。

逆にエゴがあまり出ていない状態というのは、お互いのことを尊重していいます。

エゴが少ないと仲良くなれる

例えば、小さな子供に殴らても怒る人はいないですが、自分より劣っていると思っている人や関係のない人になにかされると怒るのは、エゴがでているからです。

自分で自分を殴っても怒る人はいないでしょう。そこにはエゴがないからです。

しかし、悩みが多い人は、エゴが強すぎて、自分で悩みを作り、自分で悩んでいるのです。自作自演をしているのと同じです。

感のいい人は気づくかもしれませんが、

自分を苦しめているのは自分というエゴが強い人です。

悩みといのはエゴの塊なんです。

人の悩みは欲と怒りと無知と傲慢と自我の汚れです。

そういった感情をコントロールできなからです。

楽しい感覚も、辛い感覚もつねに変化していくというも「無常」ということを頭の隅置いておけば、感情に流されないようになると思います。

自由というやっかいな言葉

自由ってとてもすばらしいことのように感じますが、

私たちは外部の情報に影響され、そこに感情が生まれます。

なにもない状態ではなにも感じません。

無常のことを書きましたが、情報も無常です。

無常を理解していない人は、好ましくない情報を知るとそれがずっと続くと勘違いして「怒り」に変化します。

すべて無常なのですから、怒る必要はありません。

自由に生きたいとはどういう状態なのか?

好ましい状態ずっと続いてほしいとうことは

「好きな情報にずっと依存し続けたいという」意味なんです。

好きな状態ずっと続くことはありえないのに、それがありえる、もっと続いてほしいと思い、それが苦しみになるのです。

エゴが自由を妄想している限り、悩みは消えません。

このエゴが妄想を生み、他人を排除し、攻撃してしまい、大きな事件を起こしてしまうのです。

 人はわがままなのです、自分は自由になりたいと願い、人には自由にさせないのです。

ではどうするのかいいのかというと、エゴを抑える方法を知ることです。

仏教では「八正道」を説いています。

いきなり正しい思考といってもなんのことやら、わからないと思います。

逆に、怒りや憎しみといった妄想をしないようにすると思ってください。

なぜなら、そこには悩みの元の「エゴ」が出にくいからです。

怒りや憎しみが抑えられている人は、次に欲を抑えてみてください。

これはミニマリストは得意なことだと思います。

危険な欲の思考が思いついたときにはシャットダウンするのです。

「どうやればあの人に仕返しができるか」ではなく

「どうすれば仲良くできるか」

我慢するのではなく、「どうすれば自分が役に立てるのか」を考えるのです。

怒りや欲から離れる思考はエゴを抑え悩みを解消する力あるということを知っておいて損はないと思います。

では