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日本の宗教観は世界を救う。自分は自分であると思い込み

http://www.flickr.com/photos/46646401@N06/6803548192

photo by amira_a

こんにちは パパQです。

かなり前の記事ですが、日本の仏教は食の違いに近いというお話

私はこの宗教の違いというのは、食の違いと似ているんじゃないかなと思っております。例えば、和食と洋食の違いを考えてみましょう。

例えば伝統的な懐石料理を注文しますと、先付、椀物から最後のご飯に至るまで「メイン」という考え方はありません。私は、この食と同じように、日本人の宗教観も、ある特定の宗教だけを特別視するのではなくて、全ての宗教に共通する倫理観もしくは哲学、こういったものを日本人は大事にしていると思います。

 実に面白いですね。何かを特別視することなく、すべてを同じように見る。なぜ食文化ってここまで違うのでしょうか?

Respect for something

外国の宗教観 Believe in something

日本人の宗教観 Respect for somethingもしくはRespect for others

八百万神【やおよろずのかみ】

数多くの神,すべての神のこと。類似の語に八十神(やそがみ),八十万神(やそよろずのかみ),千万神(ちよろずのかみ)がある。森羅万象に神の発現を認める古代日本の神観念を表す言葉。

日本での神話といえば、「八百万神」です。八百万の神がいるというわけではなく、それだけ多くの神がいるという例えだそうです。

英語で日本文化の本 The Japan Culture Book

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「日本の神様」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド (PHP文庫)

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 日本の宗教はカレーと似ている 

日本とインドの仏教の違いというのは、実はカレーに似ているんじゃないかなと思ってます。

確かに、インドカレーと日本のカレーって全然違うけど、カレーと読んでいますね。日本に輸入してくると、日本人に合うようにアレンジされる。

これは気候や風土によって美味しいと感じる味覚がかわるからだそうです。インドで日本のカレーを食べるとあまり美味しくない。逆に日本で本場のインドカレーを食べると辛すぎて食べられないそうです。

喝采!家カレー―いつものルウだけで。うまさ新境地。

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日本の文化のすごいところ

日本は全く違うものでも、拒否することなく、日本風にアレンジするなどして、受け入れること。つまり、多様な価値観が認められる国であるといえます。

世界の戦争がなぜおこるのかといえば、考えの違い、宗教の違いが一つの理由です。もし、今の時代を日本を世界地図の縮図であるとしたら、それは戦国時代のように、日本という国を分けてしまい、侵略という形でしか、多様な価値観を認めない国のようにも見えます。

多様な人種や文化が発展していくことは、実は相手を理解し、認める力がないとできません。

認めないのであれば、かならず、排除しようとするはずです。戦争は多様な文化を認めない、だから、排除すればいいという考えも見えます。

宗教の本質は盲目的にひとつのものを信じることではありません。世界にはたくさんの人がいて、それぞれ皆さん感謝の気持ちを持って、安心感を得て、そして自分の人生を全うする。その助けを提供するのがこの宗教の役割です。

 人は他人と出会い「自分」を認識します。実はその部分で、他人と自分は違うものという言語の罠というものにはまります。

「自分と他人は違う」という考え

自分は他人ではないという理論は正しい。そこに問いはでてきません。

では、自分とはなんであるかを人に伝えようとすると、出身地、年齢、趣味、仕事といったことをあげるでしょう。それでも、自分というものを端的表したことではありません。

自分という言葉でさえ、厳密にいうと、よく分からない言葉を使っています。それを自分とこだわって、執着しているのですら、おかしなことになってくるのです。

 

自分という存在は波と水の関係と同じ

あなたは自分を海にうかぶ波と思っています。あなたの本質は海で例えるら、それは水でしょう。

なぜ、波は自分を水であると認識できないのか?

それは、自分を他人とは違うと認識しているかぎり、そこに相互依存した形で存在している「自分」を認めません。

他人を嫌う感情や相手を否定する感情は波が水であると認識できない状態と同じです。

それは、自分という言葉を使用するだけで、分けたことになってしまうからです。

相互依存とは他人がいなければ、自分は存在しないということです。

自分は他人が存在しなければ、自分は存在しない。

他人が存在しなければ、自分は存在することはできないことは両親がいないと自分は存在していないことを知れば理解はできるでしょう。そのもっと上は、最後には宇宙まで行かなければならない。すると、宇宙は自分であるという理論もなりたつのです。

他にも、たとえば、一輪の花でさえ、自分の命とはまったく関係のないものではないということが理解できます。

水から波を取り出せないように、本来は世界から自分を取り出して、見ることはできないのです。取り出せと思っていることには、執着することになり、「苦悩」がくっついて出てきます。

波(自分)に対する思い込みだけで生きていたり、他人と自分は違うものであると認識する限り、水(命)を認識できません。

波という自分にこだわると、そこには苦しみや悩みや寿命がかならず付いてきます。しかし、水、つまり宇宙全体があって自分も存在するということに気づけば、波という自分に執着する必要はないことがわかります。

すると、そこには他人にたいして、慈悲の気持ちをもつことも可能でしょう。人が悩み、人を攻撃するのは、自分と他人を区別してしまう考えに囚われているからだと思います。

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