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人が満足しない仕組みを仏教ではどう捉えているのか?

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photo by Wendy Longo photography

こんにちは パパQです。

今回も仏教記事です。最近は仏教の本しか読んでません。というのも、仏教の考え方、モノの捉え方が面白いし、勉強になるばかりです。

仏教の考えをまとめる記事になっていますので、読んでいる人はつまらないかもしれません。また、勉強したばかりなので、正しく理解できていない場合もあります。物事をこんな捉え方もあるんだと思っていただければ、十分です。

瞑想で気づき鍛える

なぜ瞑想をするのか?瞑想の効果はリラックスできたり、集中する時間を持つ。など、他にもたくさんあると思います。

 

重要なのは、意識的に生きるということです。

瞑想では必ず呼吸のことが書かれています。呼吸なんて生きている人ならだれもでやっていますよね。寝ているときもやっています。いわゆる無意識な行動です。この無意識な行動を意識することによって、無意識はなくなりませんが、そこに意識を向けることができる。これが「気づき」の基本です。

瞑想は無意識を意識することでもあります。では、無意識を意識することに意味はあるのでしょうか?

また、意識していやっていることでも、人は習慣にしていることは、無意識でやっています。

たとえば、「呼吸する、歩く、座る、食べる」

などです。

普段それらに意識を向ける人は少ない。歩きながら、明日の予定を考えたり、嫌なこと考えたり、逆に楽しいことを考える。食事の時もそうです。

仏教ではそれは食事をしているようで、食事をしていない状態と考えます。

食事をしながら、頭の中は未来のことや過去のことでいっぱいなのです。食事をしながら、今何を食べているのかを考えるとは、今という時間を捉えようとする練習なのです。それほど、現代人は今を捉えることが難しい時代になっているのかもしれません。

「気づき」とはどういうこと?

「気づき」と聞いてなにか新しい発見をすることだと思う人もいるかもしれません。

自分になかったものを発見するという意味では正しくありません。自分にもともと持っているものに「気づく」という意味だと思います

 気づきの対象には4つの領域があります。

身体

感覚

心の対象

ここからすこし難しくなります。

「気づき」とは外部から観察することではない。

たとえば、

母親は子を抱くとき、母が子になり、子は母になる。

わかりにくいと思います。言葉をそのまま理解したら、矛盾になりますよね。

正しく瞑想ができているなら、両者の隔たりはなくなる

ということです。

もっとわかりやすい例えでは

海の塩の辛さを知るためにはどうすればいいのか?

海水を熱して塩分だけを取り出す。

でも、もっと簡単な方法があります。

それは海へ飛ぶこむことです。

そうすれば、完全に理解できます。

気づきのエネルギーによって、呼吸も身体も同じになることです。

ここまでくると、言葉で理解しても、実感するには実際に体験するしかないようです。

ブッダの〈呼吸〉の瞑想

ブッダの〈呼吸〉の瞑想

 

呼吸の観察とは

息を吸うとき、息を吸っていることに気づき、息を吐いているときに、吐いていると気づく。

長く息を吸うとき、長く息を吸うことに気づく、長く息を吐くとき、長く息を吐いていることに気づく。

息を吸いながら全身に気づく。息を吐きながら全身に気づく。

息を吸いながら身体に気づく。息を吸いながら身体に気づく。

このような「気づき」を4つの領域で行います。

もっと詳しく知りたい方はこの本を読んでください。

ブッダの〈気づき〉の瞑想

ブッダの〈気づき〉の瞑想

  • 作者: ティク・ナット・ハン,山端法玄,島田啓介
  • 出版社/メーカー: 新泉社
  • 発売日: 2011/05/11
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 感覚と結果と原因には3つの状態がある

「生きることは苦である」という考えから、幸せはこの「苦」を減らす事にあると考えています。

仏教では感覚と結果と原因には3つの性質あると考えています。

感覚の3つの性質 快・不快・中性

原因の3つの性質 身体的・生理的・心理的

結果の3つ原因 生理的・心理的・社会的

があるとされています。

人が何かが(問題)が起きたときに(結果)、なぜそれが起きたのか(原因)を探ります。

 仏教では、もう一歩踏み込んで、ものごとを捉えようとします。

気づきの感覚で観察するとその源が見えてくる

快・不快・中世の感覚は、身体的、生理的、または心理的要因のどれかから生じると考えられます。

気づきの感覚の観察を鍛えれば、たった一つの物事であっても、そこからさまざま、ことに気づくことができます。

たとえば、お酒を気づきの感覚で観察してみましょう。

お酒を飲んだら、気分がよくなる人、悪くなる人がいます。これは感覚の気づきです。

もっと深く見ていきます。

お酒を作るのに、欠かせない材料が見えてくる。

アルコールが身体に及ぼす効果が見える。

アルコールから交通事故との関わり合いが見える。

アルコールの摂取と深刻な世界の食糧難のつながりも見えてきます。

このように、気づきの観察眼を鍛えれば、その原因と結果が見えてくる。

ひとつの感覚をつぶさに観察すれば、その感覚と原因がそれによって引き起こされるかもしれない結果が見えてきます。

人には幸福な条件はそろっている。

この気づきのエネルギーは幸福を感じるときに有効ツールです。

人は息ができることに幸福を感じるために、喘息や肺の病気になった人でないと実感できないほど、幸福に対して鈍感なのです。

美しい色や色彩が見られるだけで、幸せなのに、視力を失わないとそれに気がつかないのです。

走ったり飛び跳ねること歩くことができるのは、健康な足があるからです。

そんなのあたりまえだと思っている限り、人は根本的に幸福度が低いままです。

幸福は失ったあと、幸福に気づくことをずっと繰り返しています。

そうではなく、すでにあることに「気づく」それが真の気づきです。

意識的な呼吸によって「気づき」を鍛える

息を吸う

二つの目でものごとを見ることができる

息を吐く

二つの自由に使える手がある

息を吸う

子供がいれば、抱くことができる

息を吐く

家族とともに食事ができる。

このような瞑想が真の気づきによって、鍛えられ、日常の些細なことにも深い洞察が得られるようになります。

感覚の「ある」と「ない」と「中間」

感覚の3つの性質

快・不快・中性

と書きました。

歯が痛いという例を出しましょう。

歯が痛いとは不快です。それが消えることを望みます。その痛みがなくなれば、快適だと思っています。

この場合、歯の痛みがなくなることが、快適つまり、幸せにです。

しかし、しばらくすると歯の痛みがなくなった幸せを忘れるものです。

この歯が痛くない状態を「中性」と言えます。

この状態であれば、それは快でも不快でもない状態ですよね。

この状態であることがほとんどだと思います。

その中性の状態から、人は誰かと比較し、足りない、満足しないと思い込むのです。

ただ、これさえも、「気づき」の瞑想によれば、快適に感じることができます。

中性の感覚の取り扱いを間違うと、人は苦痛と感じ、不幸であると感じてしまいます。

気づきの瞑想を鍛えることによって、「中性」や「不快」さえも、「快」に変わっていくことができます。

仏教っておもしろいですね、どんどん読みたくなります。

ブッダの幸せの瞑想

ブッダの幸せの瞑想

 

マインドフルネスという言葉もでてきます。こころというのは目に見えなので、どう扱っていいのかわからなくなる。精神の病気といったり、こころの病気といったり、精神とこころの違いはなんだろう?言葉以前の感覚は言葉では表現できない部分あるのは確かです。

仏教とはこころの扱い方を教えてくれるツールなのかもしれません。

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