幸福をもとめると幸福になれないワケ 苦労しても幸福になれないワケ
こんにちは パパQです。最近はブログを読むことより、書くことの方に専念しておりまして、他の方のブログをまじめに読んでおりません。ブログどころか、ニュース記事も読んでおりません。来週には日本に帰るので、また変わってくるかもしれません
今月からいろいろ本を読んでいますと、まあ、影響を受けやすいといいますか、くそまじめだといいますか・・・
ストレスがたまっているかといえば、そうではない、体調が悪いといえば、そうではないやる気がないかといえば、そうではない、地に足がついていないような、なんとも表現しずらい精神状態です。
誰かにお前はこうしたらいいと暗示をかけてもらった方がまだ気がらくになるような気持ちになってしまいます。
とそんなことを考えると、先日読んだ本に、救済の願望が強い人は騙されやすいと書いてあるのを思い出す。いけないいけないと思いながらも、いろいろ本を読んだり、考えたりしております。
とりえあず、今したいことをしていきます。頭の中で少し整理がついて来たので、ちょっとまとめながら書いていきます。
本題に入りますが、今の私の状態は決して、悪くはないが、よくもない、しいて言えば、ゆっくり泥沼につかって沈むのを待っている状態。
しかし、這い上がることもできると頭の中では、考えています。ただ、行動まだ移せていないだけ、そこには恐怖や不安があり、足を引っ張ていること、そこから抜け出すにはどうすればいいか?今はそのことについて考えています。何も考えず、行動あるのみと考える自分もいるし、いや、もう少し考えてからやれば、やみくものにやってもしょうがないっしょ、という自分もいます。
今は頭の中を整理したいといえば、正しいのでしょう。これは欲求ですね。
娯楽中心世界の現代
みなさんもいろいろ生き方をされていると思います。ブログを見るとそれがよくわかります。人生で大切な選択を迫られている人、たとえば、大学に行くか就職するか、やりたい仕事がないぞ やべーこのままフリーターか、それなら、大学院で勉強しながら、やりたいことを探そうとか、会社に入れば入るで、仕事くそつまね、給料低いわ、残業多いし、なんかやる気がでね、転職しようにも、いいところねえしな、まあ、とりえあず続けるか、そろそろ結婚しようかな、でもまだ遊びたいし、ほんとにあの人でいいのかなあ、意識の高い方は、自分のことより、環境問題や社会問題など考えている方もいると思います。
こういういろいろ悩みや不安や恐怖で、頭がいっぱいになって、スッキリしない、不満がでる、うまく論理的に考えることができない。
どうしたらいいのか?やりたいことをやっているのに、不満や不安を感じてる状態の人が多いのは、私も実感するし、日本の幸福度を見ても日本全体がそうなんだという気がしてなりません。
広告の罪
TVやネットや広告などでは、その不安や恐怖は、楽しいことをすれば、ごまかせるよ、映画を観たり、ゲームをしたり、買い物をしたり、贅沢なことをしたりなどなど、私たちに勧めてきます。これがあれば幸せになるよ。これがあれば安心して生活ができる、だから買いなさい。
有名人がCMに起用されるのは、同じものをもっていれば、有名人と同じ気持ちになれるよ。そのブランドをもっていることが、価値あることなんですよ。
大変な苦しい思いをして、働いたお金で何をするかといえば、自分の娯楽を満たすためにお金を使うこと。またそのお金を稼ぐために、多少嫌な仕事でもする。そして、娯楽で使う。
この無限ループに入ってしまっている。生きる=娯楽を楽しむになっているような気がします。これでは不満は解消されないと思います。欲は限りがないのです。では無欲になればいい?そんなことができるでしょうか?坊主にでもなれと、それが私の望んだことではないことも分かっています。私が本当にやりたいことは何なのでしょうか?
世の中はお金が大事
多くの人は幸福を求めるけど、幸福ではない。それは次々に不満や不安がでてくることからも分かります。
人それぞれ幸福って違うし、お金があれば幸福なのかっていったらそうでもない、寝たきりで病気になったら、お金など使えないじゃないですか、でもお金がないと好きなこともできないよ。
じゃ、いった私を何を求めたらいいのか?わからなくなってしまったんですね。
いろいろ本を読んだりすると、お金はあくまで道具であり、それを目的として行動すると不幸になってしまう。と書いてあり、確かにそうだなと実感します。私もこの意見に賛成です。
現代の幸福とはなにか?
以前も書いたんですが、「幸福など捨てろ」と書いたのは、現代の幸福はとてもお手軽なものになってしまったからだと考えるからです。
嫌な仕事でも、つまらない仕事、自分に向いていない仕事であっても、仕事が終わって、好きなことや趣味でもいいし、仕事終わりのビールでもいいですよ、それがあればいままでの苦労も水もあわだ、このために生きているだなんて話を聞くと、人の幸せはお金で買えるんだと思ってしまうのもしかたがないことだと思うんですね。それに追い打ちをかけるように、広告やTVやネットで購買意欲を書きたてるものだから、日本人の幸福感は麻痺してますよ。
その幸福のためなら、やりたくない仕事でも続けられる、辞めたいけど、生活のため、お金のためにやり続け、結局、病気やストレスになっていく。はては自殺する現代人です。
生きなければならないと思い込んでいる日本人
好き嫌いですむことはどちらでもいいのですが、生きるには=ごはんを食べなくてはいけない=お金がいる=仕事をする。働かざる者食うべからずっていう言葉です。
生き方や仕事や人間関係に悩んでいる人たくさんいますよね。私もそうです。悩み不安があるとそこから逃げ出したいって思って、人生の悩みに答えを求めるでしょう。
幸福になるにはどうすればいいのですか?
こっちの会社は給料がいいけど、ブラックっぽいとか?
やりたい仕事があるけど、どうしたらその仕事につけるのか?
そもそも働きたくない、やりたい仕事がないんだよね。
生きる意味がみいだせないんです。運がないのか、いままで不運つづきなんです。
軽いウツのひとなんかもそうでしょう。
世の中不平等じゃないですか、お金もちの家生まれる人と貧乏な家に生まれる人。
自分の力ではどうしようもないことになると、神だのみですよね、宗教が生まれたのも救済してほしいとういう願望から生まれた。
答えを求める限り、幸せになれない思考パターン
宗教でも本でもネットでもいいのですが、答えを求めるじゃないですか、すると答えは自己啓発か自己安心
たとえば、ネットでもこういったものが人気がありますよね。「お金持ちの7つ習慣」、「これを変えれば、あなたは幸せになれる」とか、逆に、安心を与えるもの、「今のあなたも立派な人です、気にするから病気になるじゃないですか?もっと自信をもってください。」
内容は正反対ですが、やっていることは同じで、どちらも「しなければならい」ことあなたが幸福になるためには、こうしてください、しなければ幸福にはなれませんよ
しないということでさえも「気にしないようにしなければならない」「今のあなたのままでいいと思いこまなければならない」
つまり、自分の価値観ではなく、他人の価値観であるから、つねに「しなければならない」になってしまう。答えを求めるとどうしてもそうなってしまう。思考パターンなんです。
この思考パターンでは幸福になれません。いつまでも満足することができない。それは自分の「したい」ことではないからです。「したい」ことだと、自然にできてしまう。
have toとwant to
幸福になるためにとか、救済をもとめて、答えを探すと、どの答えにたどり着いても「have to」になります。なぜなら、このhave toは自分かこころからしたいことではないので、無理がでます。
がんばらないといけないとおもったら、余計に力がはいってでない。
リラックスしたり、緊張しないようしようすればするはど、緊張しますよね。これって、have to状態なんですね。
反対に「want to」状態であれば、がんばることできるし、リラックスしたいと思えばできる。これを知ってwant to状態にすればいいんだと思っても、すでにhave to状態になってしまう。非常にやっかいな脳のしくみになっています。
人は生きたいと思っていないのか?
私は人はやりたいことをやるしか、幸福や満足度を感じることはできないと考えます。
やりたいくないことをやっている状態は「have to」しなければならない
やりたいことをやっている状態は「want to」したい
どうして、やりたくない仕事をやるの?生活のため お金ためだよ、生きていかなければならいからだよ
ふと疑問に感じるのは、「生きていかなければならないから」という答え
だれも生きることを強制されていないのに、生きてかなければいけない。
本当は「生きたい」からじゃないですか?ここでも「want to」したいが正しい答えの道になってくるんです。
だからやりたいことをやるしか、選択の道はないんだと思う。じゃ、本当にしたいことって何?これにもどってくる。
しなきゃならないと思った地点で、それはしたいことなのか、しなければならないことなのか?考える必要がでてくる。
自分の人生じゃなかったら、占いでもなんでもいいから誰かに決めてもらえばいいけど、唯一の自分の人生だから、本当にやりたいことをやる、後悔したくないのなら、本当に自分のしたいことやるしかない、
本当にしたいことを見つけるには?
願望とか本音から始めるしかないと思う。生きたいというのは、ただ生きたい、生存したいという意味ではなく、幸福になりたいという意味が強い。
幸福になりたいから仕事をする、
ここで幸福というキーワードにたどり着きました。
なぜ嫌な仕事をする?それは幸福になりたいから。
「嫌な仕事をしても、幸福ならないよ」
「そんなことはない、苦しい思いをすれば、いつかは幸福になれると思ってしまう。だから、嫌な仕事やつらい仕打ちにあっても、我慢するよ 幸福のために」
人は幸福のためなら、自分の命をなげうってでも仕事をする。
その求めている幸福はあなたの命を捧げる価値がありますか?
それほど幸福が大事なのはわかるけど、その幸福は自分の欲を満たすだけ、そこに価値があるとは思えない。
だから、そんな幸福のために、命を削る必要はあるのかと疑問に思うのです。
幸福でも自分の欲を満たすことによって、幸福になれるし、犠牲で幸福になれる場合もある。人のためになにかをして、喜んでくれることにも幸福を感じる。こちらの方が、まだ価値のある幸福だと思います。
ただ、この幸福を求めるには、自分ばかり見ていては、この幸福にはたどり着けないと感じます。そのうえで、自分の本当にしたいことはなにかを考えていく方がいいと思っています。
今回はここまで また次回
今日も見に来てくださってありがとうございます。このブログでは、私が感じた「なにか」を自分のことだけとは思わず、多くの人にとって大事なことだと思うことをブログにしています。このブログを読んであなたの生活に小さな変化を起こすことを願っています。
クリックしてもらえるととても嬉しいです。
RANDOM ENTRY