賢くミニマリストになろう

幸福など捨てろ 書評 まずは信じることをやめなさい

こんにちはパパQです。

先日読んだ本が頭から離れなく、困っております。

今回は本の書評をしながら、ミニマリストの観点で書いていこうと思います。

私が本を選ぶときは、タイトル8割中身2割で、その時に気になることが書いてあれば、迷わず買います。もちろん外れもありますが、今回は当たりでした。

 その本がこれです。 

 まずは、「信じる」ことをやめなさい ~脳、宗教、歴史からわかった人を操る「サイン」の秘密! 騙されずにこの時代を勝ち抜くただ一つの方法

これはやばい本です。自分の価値を根底から揺るがすほど威力のある本です。

まず「信じることをやめなさい」という強烈なメッセージに引かれページをめくるたび、なるほど、確かにそうだそうだと、うなずくばかりです。

気になる箇所が山ほどありますが、すべて引用していると切りがない。あまりに強烈すぎる文章があり、私が書くと誤解を招くおそれがあります。ぜひ、詳しく本書を読んでみてください。

たとえば、
日本は奴隷の国
幸福はもはや必要ない
幸福を求める人ほど騙されやすい
カウンセリングは悩みを解消するのがビジネスになっているなら、
宗教も同じではないか?
民主主義という宗教洗脳にはまっている。
民主主義は強者の理論でなりたっている。
民主主義は自由を奪う。
法律はあなたを守るためにあるのではなく、自由を制限するものが多い。
「幸せになりたい」、「苦しみから解放されたい」の感情的背景には「報われたい」「運がむいてこないだろうか」といった救済を求める想念が必ずある。
この救済を求める心理を巧みに使い支配、非支配の関係で世界は動いている。
日本とアメリカの関係は奴隷の関係と同じ、これはビジネスや会社においても、同じ奴隷の論理が作用しています。

おかしな国、おかしな日本人

宗教の存在と世界の動きは一見関係がないように見えてしまいます。しかし、動かしているのはあくまで人間なのである。この当たり前の事実を実感することがどうやら難しくなっている気がする。それは、自分の失敗の原因をほかのものにすり替えてしまうクセがあるからなのだ。

おかしな国に住んでいる、おかしな日本人

正しいことをしているかのように錯覚をおこしてしまう。おかしいと気づけばまだいいが、おかしいのにそれに慣れきってしまい、間違っている判断でさえ、いや自分は間違っていない、自分のやっていることは正しいのだと思い込み生きている人。これは奴隷の考えと同じなです。いや自分は奴隷ではないと思っていも、そうなっている人が多い。私もそうなのです。

なぜそういえるのか、それは、本当にやりたいことをやっている人があまりに少ないからです。ほんらい人間は嫌なことはしたくないはずであり、嫌なのにしてしまうのは、なにかしらの理由をつけて、今の状態を維持しようとする行動からなのです。

ただ、それが苦しいのにやめない人、生活のため、お金のために仕事をしている人はお金の奴隷であり、会社の奴隷であることはまちがいないのです。奴隷でもいいのであれば、そのまま生きてください。そのうちストレスになり、病気なり、どうにかしたいと思うようになるでしょう。

若者が就職できないので自殺するという選択を選ぶのは、価値を会社に置いてしまったことに原因があるんではないかと思います。つまり、自分の価値は会社に入ることで存在する思ってしまった。

なぜ、嫌なら辞めないのか、嫌なことがあるのに耐えようするのか?この本では苦しいことと苦労は違うと書いてあります。そこだけでも読んでほしい。そうすれば、若者が自殺する必要はなかったとしかいえません。

 

幸福をもとめて、あれやこれや手に入れようとするおかしな日本人

タイトルに「幸福など捨てろ」とミニマリスト風に捨てろと書いた。それは人に与えらる人生から抜け出せということ。

幸福となにか?

本の中に

幸福とは何か?という文章があります。

幸とは、幸せな感じがするという幸せ。単なる情動です。

副とは、「副がくる」というように、何かを選択したことでもたらされるいい結果

ミニマリストの生き方がいい結果をもたらしくれるとするなら、「選択をする」ということだと思います。主体的に物事を選択をする。必要なものと不必要なものを分け、要らないものは処分する。

さらに「幸」についてはこう書いています。

日本人は自分を不幸せだと感じ、「幸」をもとめています。しかし、それ自体にはもはや意味がなくなったという点には、まったく気づいていません。
理由は、「幸」が本来の役割を終え、すでに娯楽の用を果たすのみとなっているからです。

幸せや、満足している状態は脳にドーパミンセロトニンが出ている状態とされています。セロトニンとは幸福ホルモンであり、これがたくさん出ていると幸せと感じています。ドーパミンセロトニンの放出を促すホルモンです。人間が幸せを感じているときは、この両方のホルモンが大量に出てきます。

だから、会社でどんな嫌なことがあっても、自分の好きなことや趣味があれば、家に帰ってそれに取り組むだけで、幸せになれるのです。不謹慎ですが、趣味がない人でも、ドラックやマリファナでも幸福ホルモンが出ます。日本では禁止されていますが、オランダやアメリカのワシントン州では合法です。それをすすているわけではありませんが、仕組みは同じなのです。

つまり、幸せ感は娯楽以外何物でもなくなってしまったことに気づくべきです。

「人間は苦しいことをやってでも幸福を追求する」という考え方はとっくに終わっているのです

本当の愛にも条件などないように、幸福にも条件はない

愛にもいろいろあると思いますが、一番強い本物の愛とは母親が子供にそそぐ愛情だと思います。運動ができても、できなくても、身長が高かろうが、低かろうが、もっというと、五体不満足に生まれた子供でも、母親は愛情を感じます。

自分が幸福だと思えば、それは無条件に幸福になれる

それに気づかずに、わざわざ条件を付けだして、不幸になる可能性を増やしているわけです。なぜ、そんなことをしているのか、それは他人の価値観を受け入れているからです。ひとそれぞれに価値観があることは当然です。だた、他人の価値観を自分の価値観と勘違いしてはいけません。

他人の価値観に惑わされれず、自分の価値観をもつには

人生で大事なことは

「人間はやりたいことをやらなければなりません、逆に、やりたくないことはやってはいけない」

ということだと思います。あまりに無責任な言葉かもしれませんが、結果的に、自分に自信ができ、その結果に責任をもつことができる。強くやりたいと思うことは、なにがなんでもやり遂げようとする力があります。それがしたくないのであれば、奴隷の人生になってくださいというしかない。ほんとうにやりたいことをやった結果はすべて素晴らしい結果になるのです。

こんなことも書いてあります。

他人の価値を受け入れている日本人は、本当にやりたいことをやって結果を得るという経験を一度もしたことがありません。自分がやりたいことをやっていると思っても、それは誰かの価値観に従っているだけなのです。

シンプルライフやミニマリストや断捨離の生き方はモノを捨てる、情報を捨てる、人間環境を捨てる。つまりシンプルに生きる生き方に救いがあるとすれば、自分自信の価値観を見直すこと、他人の価値観で生きていないのかを考えてみること、なにが人生で大事なことなのか、考える時間をもつことができる点だと思います。

不必要な情報にまどわされてはいけません。それは他人の価値観が刷り込まれている情報です。あなたがほしいという情報でさえ、それは他人の価値観がすでに入っている状態です。

自分の価値観がない状態では、判断基準がないので、すべてを受け入れてしまいます。そして、それが自分の価値判断になってしまうのです。

自分の価値基準を付けるのは、自分がやりたいことをやるしか方法はないでしょう。

頭でしようとしてもなかなかできません。やってみて、これだと感じることが大切です。楽しい、ワクワクするということが、その人にとっての本当にやりたいことなのです。

ただ、なにもない人もいるでしょう。それも仕方がないことなのかもしれません。それは親や教師に聞かされてきた世間的な考え方や常識が自分の価値観になってしまっているからです。

それを解く方法もあります。キーワードは幸福、恐怖だと思います。

生き方や仕事、就職に悩んでいる人は読んでみてもらいたい。けっして、答えを提示している本ではないが、間違いに気づかせてくれる本です。